◇◆◇日々のみ言葉
2016年7月5日(火)
◎聖書箇所 【マルコの福音書15章17節~20節】
15:17 そしてイエスに紫の衣を着せ、いばらの冠を編んでかぶらせ、
15:18 それから、「ユダヤ人の王さま。ばんざい。」と叫んであいさつをし始めた。
15:19 また、葦の棒でイエスの頭をたたいたり、つばきをかけたり、ひざまずいて拝んだりしていた。
15:20 彼らはイエスを嘲弄したあげく、その紫の衣を脱がせて、もとの着物をイエスに着せた。それから、イエスを十字架につけるために連れ出した。
◎ショートメッセージ
《ついに、ユダヤ総督ポンテオ・ピラトは、それまで何度もイエス様の無罪を主張し、何とかして釈放しようと努力していましたが、民衆の声に負けて、ローマ法では、何の罪にも相当しないイエス様を、十字架につけるために、部下のローマ兵に渡したのです。
この場面では、イエス様をゴルゴダの丘へ引き連れて行くローマ兵たちが、イエス様を嘲笑したことが書かれています。
マタイ、マルコ、ルカにおける共観福音書には、実は大切な場面のことが省かれています。それは主イエス様がムチ打たれたことです。
そのことについては、ヨハネだけが書き記しています。このことだけでも、なぜヨハネが第四福音書を書かなければならなかった理由が良く分ります。
『そこで、ピラトはイエスを捕えて、むち打ちにした。また、兵士たちは、いばらで冠を編んで、イエスの頭にかぶらせ、紫色の着物を着せた。彼らは、イエスに近寄っては、「ユダヤ人の王さま。ばんざい。」と言い、またイエスの顔を平手で打った。(ヨハネの福音書19:1~19:3)』
ペテロは、その場面を目撃しています。
『キリストは罪を犯したことがなく、その口に何の偽りも見いだされませんでした。ののしられても、ののしり返さず、苦しめられても、おどすことをせず、正しくさばかれる方にお任せになりました。そして自分から十字架の上で、私たちの罪をその身に負われました。それは、私たちが罪を離れ、義のために生きるためです。キリストの打ち傷のゆえに、あなたがたは、いやされたのです。(第一ペテロの手紙2:22~2:24)』
また、このことは、預言の成就でもあるのです。
イザヤ書によれば、
『彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、彼の打ち傷によって、私たちはいやされた。(イザヤ書53:5)』と書かれてあるからです。
「打ち傷」とは、ムチ打ちのことを表わしているのです。
聖書には詳しく書かれてはいませんが、主イエス様は、想像を絶するほどの、激しいムチ打ちを経験されたのです。当時のローマのムチの先には、動物の骨や、尖った金属片がついていました。一回打たれる度に、血と肉は飛び散ったと言われています。普通ムチ打ちの刑は39回と定められていました。40回以上では死ぬ危険性があるからです。しかし実際には、それ以上の回数が行なわれたとのことです。イエス様の背中は、血だらけになり、おそらく背骨がむき出しになったに違いありません。
この時、主イエス様は、まさしくすべての病と痛みをになわれたのです。》