• 日々のみ言葉 2016年7月6日(水)

    ◇◆◇日々のみ言葉

    2016年7月6日(水)

    ◎聖書箇所 【マルコの福音書15章21節】
    15:21 そこへ、アレキサンデルとルポスとの父で、シモンというクレネ人が、いなかから出て来て通りかかったので、彼らはイエスの十字架を、むりやりに彼に背負わせた。

    ◎ショートメッセージ
    《マルコは、ここで不思議な出来事を掲載しています。それは、アレキサンデルとルポスとの父で、シモンというクレネ人が、イエス様の十字架を無理矢理ローマ兵の命令によって、担ぐはめになったことです。

     まず、マルコは、アレキサンデルとルポスの二人の名前をあげています。それは、この福音書を読んだ人々が、彼らを良く知っていることを意味します。もしかしたら、その当時のクリスチャンたちに取って、指導者的立場であったかも知れません。

     その父であるシモンが、いなかから、たまたま出て来て通りかかったと言うのです。
    クレネと言うのは、北アフリカで、今日ではリビヤにある町です。その頃、ユダヤ人がたくさん住んでいた町が、北アフリカには二つありました。
     一つはエジプトのアレクサンドリヤ、もう一つはこのクレネでした。クレネ人と言っていますが、名前はペテロと同じシモン(正式はシメオン)ですから、ユダヤ人であったことは確かです。

     そのシモンが、北アフリカからエルサレムの「過越の祭」に巡礼に来て、たまたまイエス様が、ゴルゴタの丘まで、自らがつけられる十字架を背負った場面に出くわしたと言うわけです。
     当時、北アフリカからエルサレムに巡礼に来ることが出来るのは、相当裕福な人物であり、またエルサレム市内に自分の家を持っていた可能性が非常に高いのです。

     多くの一般庶民のユダヤ人は、城壁の外にテントを張って寝泊まりしたと言われています。なぜなら市内にある宿屋はどこもいっぱいで、まさしく主イエス様がお生まれになった時のベツレヘムのようであったからです。

     カトリック教会は、「十字架の道行き」という十四枚の絵を、礼拝堂の左右の壁に飾っています。それによりますと、主イエス様は三回倒れられることになっています。おそらくイエス様が、最初に倒れられた時に、そこにシモンが居合わせたかと思われます。

     さて、マルコはなぜクレネ人シモンの名前を福音書に書き記したのでしょうか。それは、間違いなく彼がクリスチャンになったからです。そして彼だけでなく二人の息子も救われ、主の尊い働きに加わり、その妻も救われて、何と使徒パウロの世話をしていたと考えられています。

     パウロは、ローマ人への手紙にこう書き記しています。

    『主にあって選ばれた人ルポスによろしく。また彼と私との母によろしく。(ローマ書16:13』
     
     ここから、クレネ人シモンの妻であり、アレキサンデルとルポスの母が、パウロを自分の息子のように面倒を見ていたことが分かります。夫はイエス様の面倒を見ることが出来、その妻は、最大の使徒パウロの世話をすることになるのですから、何と光栄なことでしょうか。

     さて、イエス様は、一睡もせず、また39回以上ムチ打たれ、殴られ、平手で打たれ、相当に体力を消耗していたと思われます。
     しかも数十キロの重さになる十字架を担いで、ゴルゴタの丘にまで運ぶのですから、もはやその力は残ってはいなかったのです。それゆえ、シモンがかり出されたのです。

     この時のシモンの気持ちはいかばかりであったでしょうか。迷惑千万なことは間違いありません。重い十字架を担いで、かなりの道程を歩かなければならないのです。
     しかし、私たちは知っています。主イエス様の十字架を、イエス様の代わりに担ぐことがどれほどの恵みであり、また光栄なことなのか。ゴルゴタの丘の刑場までシモンは担ぎ、おそらくそこに留まって、主イエス様の最後を見届けたのではないでしょうか。

     そして、これも聖書には書かれていませんが、私は確信しているのです。よみがえられたイエス様が、シモンにも現われてくださったことを。

     人は、その時には、いったい何が起こっているのか分からない場合が多いのです。しかし後に、その意味がはっきりと理解出来る時が必ずやって来ます。私たちに起こることは、決して偶然ではなく、すべては主の御手の中において、なされているからです。》

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