• 日々のみ言葉 2016年7月18日(月)

    ◇◆◇日々のみ言葉

    2016年7月18日(月)

    ◎聖書箇所 【マルコの福音書15章34節~36節】
    15:34 そして、三時に、イエスは大声で、「エロイ、エロイ、ラマ、サバクタニ。」と叫ばれた。それは訳すと「わが神、わが神。どうして私をお見捨てになったのですか。」という意味である。
    15:35 そばに立っていた幾人かが、これを聞いて、「そら、エリヤを呼んでいる。」と言った。
    15:36 すると、ひとりが走って行って、海綿に酸いぶどう酒を含ませ、それを葦の棒につけて、イエスに飲ませようとしながら言った。「エリヤがやって来て、彼を降ろすかどうか、私たちは見ることにしよう。」

    ◎ショートメッセージ
    《イエス様が、十字架に掛けられた時は、現代時制の午前9時のことでした。すると、12時になったとき、全地が暗くなって、午後3時まで続いたのです。
     そして、午後3時になりますと、イエス様は大声で、「エロイ、エロイ、ラマ、サバクタニ。」と叫ばれたのです。
     ここで疑問に思うことがあります。なぜマルコは、イエス様の発せられたお言葉を、ヘブル語のまま掲載したのでしょうか。
     旧約聖書は、主にヘブル語と一部アラム語で書かれていますが、新約聖書はギリシャ語で書かれています。
     この箇所を、あえてヘブル語で掲載し、その後にギリシャ語による翻訳を載せているのです。
     そして、マルコの福音書を基にして、使徒の目から見たイエス様を描こうとしたマタイも、この箇所は、イエス様が語られたお言葉をそのまま掲載しています。

     しかし、少し内容が異なっていて、マタイによると、

    「エリ、エリ、レマ、サバクタニ。」となっていまして、「エリ」はアラム語であり、どうやらこの言葉を聞いて、イエス様の十字架の側にいたパリサイ人や律法学者たちは、「エリヤを呼んでいる」と勘違いしたようです。

     さて、もう一度、疑問に戻りましょう。マルコそしてマタイも、なぜイエス様が言われた言葉を、ギリシャ語ではなく、ヘブル語あるいはアラム語のまま、書き記したのでしょうか。
     どちらも意味は同じです。

    「わが神、わが神。どうして私をお見捨てになったのですか。」という意味です。

     イエス様は、十字架上において七つの言葉を発せられましたが、この言葉が最も重要な言葉なのです。それだからこそ、マルコはそのままの原語で、またマタイは少し書き直して、やはり同じく原語で、イエス様の言葉を福音書に載せたのです。

     尾山令仁先生は、こう教えています。
     『主イエス様が、十字架上で発せられた四番目の御言葉こそ、私たち人類の罪を永遠に贖ってくださったことを証する言葉なのです。ですから、イエス様が十字架上でこの御言葉を発せられなければ、私たちは永遠にこの言葉を口にし続けなければならないことになるわけです。聖書が一貫して主イエス・キリストの身代わりの贖いについて教えていることは、主イエス様が十字架上で発せられたこの一言に凝縮されていると言って良いでしょう。それほど重要な意味を持った御言葉であると言うことが出来ます。』

     もし、私たちが主イエス様を信じなければ、死んだ後、一体どこに行くことになるのでしょうか。聖書は、はっきりと地獄の存在を明確にしています。その時、そこで叫ぶ言葉が、主イエス様の発せられた言葉ではないでしょうか。神様の御心は、すべての人が主イエス様を信じて救われることにあります。家族の救いの為、また友人・知人の救いの為に、もっと祈り続けるとともに、何か出来ることをしようではありませんか。》

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