• 日々のみ言葉 2016年8月31日(水)

    ◇◆◇日々のみ言葉

    2016年8月31日(水)

    ◎聖書箇所 【ルカの福音書1章26節~27節】
    1:26 ところで、その六か月目に、御使いガブリエルが、神から遣わされてガリラヤのナザレという町のひとりの処女のところに来た。
    1:27 この処女は、ダビデの家系のヨセフという人のいいなずけで、名をマリヤといった。

    ◎ショートメッセージ
    《ここからいよいよ主イエス様の誕生について学んで行きます。

    「ところで、その六か月目」とは、エリサベツが、ヨハネを身ごもってから六か月目を指し示します。エリサベツのお腹は相当に大きくなっていたはずです。

     御使いガブリエルが、父なる神様から遣わされて、ひとりの処女の所にやって来ました。この時にも、ガブリエルは、ザカリヤに現われたと同じように、目に見える形で、姿を現わしたと思われます。
     おそらくマリヤが一人で部屋の中にいる時に、まぶしい光と共に、静かに、スーッと現われたと思われます。
     ガリラヤのナザレとは、主の母マリヤと、その婚約者であったヨセフの故郷です。もちろん主イエス様に取っても故郷にあたります。

    「この処女は、ダビデの家系のヨセフという人の婚約者で、マリヤと言う名前であった。」とルカは書き記していますが、マリヤも同じく、ダビデの家系の出身でした。

     マリヤとヨセフは、婚約期間の一年を、お互いにつつましく過ごしていました。イスラエルでは、婚約が成立してから一年間は、お互いに準備期間として、誠実を尽くします。
     そして一年が無事に過ぎましたら、一週間にもおよぶ婚宴の時を迎え、晴れて夫婦となることが出来るのです。
     しかし婚約期間であったとしても、法律上では、すでに夫婦と見なされていました。

     この場面も母マリヤだけが体験したことであり、この話を後ほど、婚約者ヨセフに、そしてイエス様本人に、また使徒ヨハネに話して聞かせたと思います。それだからこそ、私たちは「受胎告知」の事実を知ることが出来るのです。

     さて、いつも思うことがあるのです。なぜ父なる神は、マリヤを選ばれたのでしょうか。この時のマリヤは、まだ10代であったと思われます。その時代に、多く存在していたであろう処女の中から、なぜマリヤに白羽の矢が立ったのでしょうか。

     私たちには、神様の選びの基準が分かりません。なぜならその主権は神様にあるからです。ただ、主が選ばれたのです。

     主イエス様は、使徒たちにこう言われました。
    『あなたがたが私を選んだのではありません。私があなたがたを選び、あなたがたを任命したのです。(ヨハネの福音書15:16前半)』
     私たちは、この言葉を厳粛に受け止めるべきです。私たちが、救い主である主イエス様に出会ったのではなく、主イエス様が、私たちと出会って下さったのです。そして永遠のいのちを与えられたのです。

     日本の多くの人々も、主の婚宴の席に招かれていると信じています。一人でも多くの人々に、その招待状を手渡すことこそが、先に救い出された私たちのするべき役目であると考えます。
     ただ、その招待状を手にした人々が、婚宴の席に来るか否かは、その人が決心すべきことですが、誘い続けることこそが、私たちに、託されたことだと思うのです。》

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