◇◆◇日々のみ言葉
2016年9月1日(木)
◎聖書箇所 【ルカの福音書1章28節~29節】
1:28 御使いは、はいって来ると、マリヤに言った。「おめでとう、恵まれた方。主があなたとともにおられます。」
1:29 しかし、マリヤはこの言葉に、ひどくとまどって、これはいったい何のあいさつかと考え込んだ。
◎ショートメッセージ
《ザカリヤの妻エリサベツが、ヨハネを身ごもったその六か月目のことです。御使いガブリエルが、神様から遣わされてガリラヤのナザレという町のひとりの処女のところにやって来ました。この処女は、ダビデの家系のヨセフという人の婚約者で、名をマリヤと言いました。このマリヤもダビデの家系で、ヨセフとマリヤの家系は、ダビデの子の代で分かれています。
「御使いは、はいって来る」と書かれていますが、扉をノックしたのではないと思います。窓から、あるいは壁をすり抜けて、入って来たと考える方が、より御使い的です。
ザカリヤと同じように、主の母マリヤも、その人物が超自然的存在であることを、この世のものではないことを、一瞬にして分かったと思います。
ただ不思議な事には、この時、マリヤは恐れたり、あるいは恐怖の念にかられていないことが分ります。ザカリヤは恐れたのです。
ここから、学ぶべきことがあります。年を取っていたザカリヤは、ほとんど神様に対する信仰を失いかけていたのです。しかしマリヤは、おそらくまだ10代の女性であって、神様に対して柔らかな心と、期待と信仰を抱いていたに違いないのです。その証しが、マリヤの態度と言葉に表われています。
『マリヤはこの言葉に、ひどくとまどって、これはいったい何のあいさつかと考え込んだ。』
ここでマリヤは動揺してはいません。戸惑ったのです。つまり御使いの語った言葉を考え込んだのです。思い巡らしたのです。その意味を理解しようとしたのです。
無理もないことです。結婚したばかりの若い女性に対して、しかも御使いが、このように言うのですから。
「おめでとう、恵まれた方。主があなたとともにおられます。」
「主があなたとともにおられます。」この言葉は預言です。マリヤに取って自分の産んだ息子が、また乳飲み子が、育てた子が、やがて彼女の主になろうとは、一体誰が想像できたでしょうか。
神様が人となられた。このことを、真に理解するには、あまりにも難しく、計り知れないほどの奥義であり、また奇蹟なのです。
私たちには、理解することよりも、信じることが大切です。信じるだけなのです。これは「三位一体」の真理にも、同じことが当てはまります。理解することは出来ません。「私たちは、信じて受け入れるだけだ。」と、尾山令仁先生は、言われています。》