◇◆◇日々のみ言葉
2016年9月4日(日)
◎聖書箇所 【ルカの福音書1章35節】
1:35 御使いは答えて言った。「聖霊があなたの上に臨み、いと高き方の力があなたをおおいます。それゆえ、生まれる者は、聖なる者、神の子と呼ばれます。」
◎ショートメッセージ
《そこで、マリヤは御使いガブリエルに言いました。「どうしてそのようなことになりえましょう。私はまだ男の人を知りませんのに。」
この答えは、実は「救い主」であるその男の子の父親は誰ですか、と言う質問でもあるのです。
「その名をイエスとつけなさい。」
イエスとは、ヘブル語で「イエホシューアー」あるいは、「イエシュアー」であり、その意味は「主は救い」であるのです。マリヤは、その名前が、モーセの死後にイスラエルを勝利に導いたヨシュア(ヨシュア記の著者)と同じ名前であることが、すぐに分かったのです。ヨシュアはヌンの子です。それゆえマリヤは、ヨシュアのような救い主、おそらくユダヤの人々をローマ帝国から解放してくるメシヤの父親は、誰であるのか思い巡らしたのです。
するとガブリエルは、こう答えるのです。
「聖霊があなたの上に臨み、いと高き方の力があなたをおおいます。それゆえ、生まれる者は、聖なる者、神の子と呼ばれます。」
これは人間が、つまり男の人が父親ではないことを、意味しています。すなわちマリヤの婚約者ヨセフではないことを、はっきりと言っているのです。
この瞬間、マリヤはヨセフの顔を思い浮かべたに違いないのです。そして、ヨセフがこのことを納得してくれるだろうか、あるいは自分は姦淫の罪に帰せられて、石打ちの刑にされるのではないだろうか、と一瞬にして、様々な場面が走馬燈のごとく、吹き抜けて行ったに違いないのです。
ここでガブリエルは、「聖霊があなたの上に臨み」と言っていますが、「聖霊」がどなたであるのか、マリヤにはまだ理解出来なかったと思われます。なぜなら「聖霊」が、公にこの地上に来て下さるには、イエス様の十字架と復活が起こらなければならないからです。
「いと高き方」この言葉は、創造主なる神様を指し示します。
「それゆえ生まれる者は、聖なる者、神の子と呼ばれます。」
神様が、しかもこの世界を、天地創造をなされたお方が、人となって来て下さるのです。処女マリヤを通して。
この時のマリヤの信仰、この素直な素晴らしい信仰のゆえに、カトリック教会は、主の母マリヤを崇敬するのです。決して崇拝しているのではありません。マリヤは、私たちと同じ人間です。ある意味では、確かに「神の母」とも言えないわけではありませんが、イエス様の上に位置する存在では、決してありません。
マリヤは「無原罪」ではありませんし、また「被昇天」すなわち、死んだ時、肉体も魂も共に天に引き上げられたのではありません。この辺りのことについて、聖書とは違っていることを、カトリック教会が教理としていることも事実なのです。しかし、だからと言って、カトリック教会は異端ではありません。
私たちプロテスタント教会、そしてペンテコステ教会と同じく、同じ主イエス様を礼拝する、兄弟であり姉妹なのです。また天国では、地上で所属した教会のネームプレートはありません。なぜなら、主イエス様の花嫁である「聖なる公同の教会」は、一つなのですから。》