◇◆◇日々のみ言葉
2016年9月3日(土)
◎聖書箇所 【ルカの福音書1章34節】
1:34 そこで、マリヤは御使いに言った。「どうしてそのようなことになりえましょう。私はまだ男の人を知りませんのに。」
◎ショートメッセージ
《御使いガブリエルは、入って来ると、マリヤに言いました。
「おめでとう、恵まれた方。主があなたとともにおられます。こわがることはない。マリヤ。あなたは神から恵みを受けたのです。ご覧なさい。あなたはみごもって、男の子を産みます。名をイエスとつけなさい。その子はすぐれた者となり、いと高き方の子と呼ばれます。また、神である主は彼にその父ダビデの王位をお与えになります。彼はとこしえにヤコブの家を治め、その国は終わることがありません。」
ガブリエルは、その子の名前を「イエスとつけなさい。」と言いましたが、ルカはギリシャ人ですので、ギリシャ読みで、「イエスース」と書きました。
主の母マリヤは、ヘブル人ですので、ガブリエルは、ヘブル語で話したはずです。
とするならば、本当は「イエス」ではなく、「イエホシューアー」あるいは「イエシュアー」が正しい発音であり名前なのです。その意味は、「主は救い」です。
また当時のユダヤでは、「イエス」の名前はごく一般的でありました。なぜならモーセ五書に登場します、モーセの従者であり、かつその後継者であったヌンの子ヨシュアは、実は全く同じ名前なのです。それゆえヨシュアにあやかって、同じ名前をつけたがる親が多かったと言う訳です。
要するに、当時のユダヤでは、ごくありふれた名前であったわけです。日本で言いますならば、「太郎」と言った所でしょうか。
しかし「モーセ」と、その名を我が子につける親はいなかったようです。おそらく律法学者とパリサイ人たちの、厳しい目線があったのかも知れません。これは、あくまで私個人の推測に過ぎませんが。
さてマリヤは、ガブリエルが受胎告知をし、そして旧約聖書からの「メシヤ」預言の引用を話した時、このように答えました。それが、本日の聖書箇所です。
「どうしてそのようなことになりえましょう。私はまだ男の人を知りませんのに。」
これは若い娘であり、処女であった彼女に取っては、そのような疑問を抱くことは当然です。
実はここに、マリヤの思いもよらぬ奥義が隠されているのです。
すなわち、偉大なる「モーセ」も、そして「ヨシュア」も、父親がいて生まれて来たからです。つまりマリヤは、その「救い主」の父親は、一体誰なのでしょうかと、質問しているのです。
マリヤの心の中には、もしかしたら婚約者ヨセフかも知れない、と思ったことだろうと思います。
しかし、罪ある両親から生まれて来る子は、やはり罪人です。罪人では、身代わりとなることは出来ません。
年に一回、大祭司は至聖所において、一才の傷のない雄羊を捧げます。これは、主イエス様の十字架の予表を意味しています。
この後、ガブリエルは、マリヤが思いも考えもつかないことを話します。この話を聞いた後で、間違いなくマリヤは、イザヤ書に書かれてあった預言が、自分の身に起こることを知るのです。
『それゆえ、主みずから、あなたがたに一つのしるしを与えられる。見よ。処女がみごもっている。そして男の子を産み、その名を『インマヌエル』と名づける。(イザヤ書7:14)』》