• 2025年7月13日礼拝メッセージの概要

    ※本日の聖書箇所「ルカの福音書9章49節~50節」(新約p.133上段左側)
    9:49 さて、ヨハネが言った。「先生。あなたの名によって悪霊を追い出している人を見たので、やめさせようとしました。その人が私たちについて来なかったからです。」
    9:50 しかし、イエスは彼に言われた。「やめさせてはいけません。あなたがたに反対しない人は、あなたがたの味方です。」

    ◎メッセージ【信仰と寛容とは?】
    《この場面は、カペナウムのシモン・ペテロの家に戻って来た時です。よって、今日の聖書箇所に書かれた、他の人による「悪霊追い出し」は、カペナウムで行なわれたと思われます。
    まず、ここから分かることは、この事実を目撃し、伝えたのは、主が「愛する弟子」と言われたヨハネであったと言うことです。また、この働きを止めようとしたのもヨハネであることが分かります。つまり、この出来事はヨハネの為であったことが分かります。
    ヨハネは、主イエスを直に目撃した使徒の最後の生き残りとして、二世紀初頭まで生きながらえエペソ教会を導き、やがて長寿を全うして、その生涯を終えたと伝えられています。
    その頃、様々な異端が出始めた時でもあったのです。よって、本物と偽物を見分ける必要が急務であったことが分かります。
    ところで、一体彼らはどのような人々なのでしょう。もし主イエスの弟子ならば、彼らは主と行動を共にするはずです。しかし、彼らは付いて来なかったと書かれています。また、ヨハネは彼らに、主イエス一行と行動を共にするように促したことが分かります。
    さて、彼らは「主の御名」によって悪霊どもを追い出していたと言うのです。また、ヨハネは、実際に悪霊が出て行ったことも目撃しています。そうでなければ、主イエスに伝えることもしなかったはずです。
    それでも、この出来事は不可解とも言えます。なぜ、主イエスの弟子ではない者たちによって、主の御名によって、命じたならば、悪霊が出て行くのでしょうか。
    私はこう解釈します。彼らは、主イエス一行に付いては行きませんでしたが、実は主イエスを心から信じていた者ではないでしょうか。
    それでは、なぜ付いて行かなかったのでしょうか。それは、すでに十二使徒以外にも、百人近い弟子たちが、主イエス一行と行動を共にしていたからではないでしょうか。
    さて、主イエスは、この出来事を通して、何を教えようとしているのでしょうか。主は、確かに今から二千年ほど前に、一人の人間として実存されましたが、永遠に存在される神様でもあるのです。神様に取っては、過去も未来もすべて、現在です。よって主イエスは、やがて、教会が分裂することを知っておられたのです。それゆえ、十二弟子たちに、新しい戒めを与えられたのです。
    「私はあなたがたに新しい戒めを与えます。互いに愛し合いなさい。私があなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。互いの間に愛があるなら、それによって、あなたがたが私の弟子であることを、すべての人が認めるようになります。」と。
    教会同士が裁きあったり、断絶したりすることは、主の御霊を悲しませることになり、悪魔と悪霊どもを喜ばせるだけなのです。
    またカトリック教会とプロテスタント教会が、互いに、にがみあったりすることも、主イエスは心から嘆いておられるに違いありません。人間は皆違います。同じように、教会もそれぞれが違うのです。しかし、その土台は唯一です。それは、私たちの救い主イエス・キリストだけなのです。》

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