◇◆◇日々のみ言葉
2016年9月8日(木)
◎聖書箇所 【ルカの福音書1章37節~39節】
1:37 「神にとって不可能なことは一つもありません。」
1:38 マリヤは言った。「ほんとうに、私は主のはしためです。どうぞ、あなたの言葉どおりこの身になりますように。」こうして御使いは彼女から去って行った。
1:39 そのころ、マリヤは立って、山地にあるユダの町に急いだ。
◎ショートメッセージ
《昨日に続き、同じ箇所と、そして新たに39節を加えて、さらに深く考えて見たいと思います。
マリヤは、確かに御使いに出会いました。そして神様のご計画の伝言を聞きました。まさか、自分が救い主の母親になると言う、その素晴らしい約束と恵みに、心躍らせただけではなく、現実的に、愛する婚約者ヨセフを始め、両親や親戚たちのとまどい、誤解、中傷などに、どうしたら良いのか、と言う思い煩いもすべて受け入れて、最終的な応答をしたのでした。
さて、ここで再び良く考えて見ましょう。
それは、実際に何時イエス様がマリヤの胎に宿られたのでしょうか。
御使いガブリエルが言います。
『「聖霊があなたの上に臨み、いと高き方の力があなたをおおいます。それゆえ、生まれる者は、聖なる者、神の子と呼ばれます。」(ルカの福音書1:35)』
そして、その後にマリヤが再び答えます。
「ほんとうに、私は主のはしためです。どうぞ、あなたの言葉どおりこの身になりますように。」
この言葉を聞いた御使いは、去って行きます。とすれば、私は、マリヤがこの言葉を口にし終えた時、その絶妙なタイミングにおいて、聖霊なるお方が、マリヤを包み込み、そしてその時にこそ、主イエス様をご懐妊するという、光栄に預かったのではないでしょうか。
なぜなら、主イエス様が奇蹟をなされた時には、いつも「あなたの信仰があなたをいやしたのです。」と言われたからです。
『信じる時に、受け取る。』これこそが、信仰とその実を受け取ることの法則ではないでしょうか。
マリヤが、信じ受け入れた時に、「処女受胎」と言う奇蹟が起きたと信じます。もちろん、あくまで私個人の推測に過ぎませんが。
さて、御使いガブリエルは、こうも申し出たのです。
『「ご覧なさい。あなたの親類のエリサベツも、あの年になって男の子を宿しています。不妊の女と言われていた人なのに、今はもう六か月です。」(ルカの福音書1:36 )
これこそが、マリヤへのしるしであることは、すでに学びました。それゆえ、マリヤは、いてもたってもいられなく、ひとりで、「山地にあるユダの町エンカレム」に向かうことになります。
女性の一人旅は、今でも非常に危険です。ましてや、うら若き乙女の一人旅なのです。マリヤの母親も父親も、そして婚約者ヨセフもなかなか良い返事をしなかったはずです。
聖書には書かれてはいませんが、マリヤは御使いガブリエルが伝えたエリサベツの妊娠だけを話し、そして確認する為、またもし、そのことが事実であったとしたら、手伝うことを理由として、両親やヨセフを納得させたのではないのかと思うのです。
ちょうどその時、ナザレからエルサレムに向かう一団がいて、そこに便乗出来たのではないでしょうか。そうでなければ、誰が結婚を控えた娘を、ひとりで百何十キロ離れたユダの町に行かせるでしょうか。エンカレムは、エルサレムの郊外にある町なのです。》