◇◆◇日々のみ言葉
2016年9月18日(日)
◎聖書箇所 【ルカの福音書1章59節~60節】
1:59 さて八日目に、人々は幼子に割礼するためにやって来て、幼子を父の名にちなんでザカリヤと名づけようとしたが、
1:60 母は答えて、「いいえ、そうではなくて、ヨハネという名にしなければなりません。」と言った。
◎ショートメッセージ
《さて月が満ちて、エリサベツは男の子を産みました。エンカレムの近所の人々や、ザカリヤの親族は、神様がエリサベツに大きなあわれみをおかけになったと聞いて、彼女とともに喜びました。
この時、主イエス様の母となるマリヤは、まだエリサベツと一緒に暮らしていたかどうかは、判断出来かねます。。
ルカはただ、
『マリヤは三か月ほどエリサベツと暮らして、家に帰った。(ルカの福音書1:56)』としか書いていないのです。
しかし、私は思うのです。エリサベツは若くありません。老婆なのです。そして私たちは、ザカリヤとエリサベツに、子どもが他にいなかったことを知っています。そうだとしたら、親戚の若い娘であるマリヤが、その初産に立ち会わないようなことがあるでしょうか。
マリヤは、エリサベツが六ヵ月目を迎えたと御使いから聞き、そしてエンカレムにやって来ました。
それから三ヵ月一緒に暮らして、臨月を迎え、間もなく出産を控えていたエリサベツに、「はい。さようなら。エリサベツ。元気な赤ちゃんを産んでね。」と、薄情にもナザレに戻って行くでしょうか。そんなことは、あるはずがありません。
私は、マリヤは、生まれたばかりの洗礼者ヨハネを、その胸に抱いたと信じるのです。
さて八日目になりました。モーセの律法にはこう書かれています。
『あなたがたの中の男子はみな、代々にわたり、生まれて八日目に、割礼を受けなければならない。家で生まれたしもべも、外国人から金で買い取られたあなたの子孫ではない者も。(創世記17:12)』
ユダヤの人々は、忠実にこの契約を守り続けているのです。
「人々は幼子に割礼するためにやって来て」
人々はザカリヤの家にやって来たのでしょうか、あるいはエルサレムの神殿に集まったのかも知れません。
主イエスは、エルサレムにおいて割礼を施されました。
ルカによりますと、
『八日が満ちて幼子に割礼を施す日となり、幼子はイエスという名で呼ばれることになった。胎内に宿る前に御使いがつけた名である。さて、モーセの律法による彼らのきよめの期間が満ちたとき、両親は幼子を主にささげるために、エルサレムへ連れて行った。(ルカの福音書2:21~2:22)』
バプテスマのヨハネは、主の先駆者として遣わされました。またエンカレムは、エルサレム近くの郊外の町なのです。そうならば、祭司ザカリヤが、年老いて与えられた念願の長子を、主にささげる為にエルサレムに来たと考えるのが普通であると思います。
さて人々は、幼子を父の名にちなんでザカリヤと名づけようとしました。もちろんそこにはザカリヤもエリサベツも同席していました。すると、エリサベツが、「いいえ、そうではなくて、ヨハネという名にしなければなりません。」と言ったのです。》