◇◆◇日々のみ言葉
2017年3月9日(木)
◎聖書箇所 【ルカの福音書7章31節~32節】
7:31「では、この時代の人々は、何にたとえたらよいでしょう。何に似ているでしょう。
7:32市場にすわって、互いに呼びかけながら、こう言っている子どもたちに似ています。『笛を吹いてやっても、君たちは踊らなかった。弔いの歌を歌ってやっても、泣かなかった。』」
◎ショートメッセージ
《昨日に引き続き、イエス様がバプテスマのヨハネについて語られた言葉をさらに考えて行きます。
イエス様はここでたとえを話されました。
まず「この時代の人々」とは、それは間違いなくパリサイ人や律法学者たちを名指しています。なぜなら彼らは、先入観と偏見でバプテスマのヨハネのメッセージを受け入れようとはしなかったからです。その彼らに対する描写をたとえで語られたのです。
尾山令仁先生によりますと、イエス様は子どもたちの「結婚式ごっこ」と「葬式ごっこ」になぞらえて説明しています。
子どもたちが広場で遊んでいます。ある子どもたちが結婚式ごっこをしようと言って、笛を吹いたのに、誰もそれに乗って来ない、つまり誰も一緒になって踊ってくれなかったと言うのです。
それで今度は葬式ごっこをしようと言うことで弔いの歌を歌ったのに、誰も心を動かして泣いてくれなかったと言うことなのです。
イエス様は、この子どもたちの姿とバプテスマのヨハネを重ねておられます。バプテスマのヨハネが、人間の罪を指摘し、悔い改めを求めているのに対して、パリサイ人や律法学者たちは、誰もその声に聴き従おうとはせず、逆に「あれは悪霊につかれているのだ」と言って、罵ったのです。
なぜならバプテスマのヨハネのメッセージが、あまりにも自分たちの心に強く響き、本当のことを言い当てられたために、図星を指され、不快感を抱き怒りだしてしまったのです。人は真実を言われると怒り出してしまうものなのです。まさに罪人たる性質が暴露されたのです。
イエス様のこの言葉は、何も当時のユダヤ人だけに、限ったことではありません。今の時代も同じなのです。日本の多くの人々は聖書の言葉に耳を傾けようとはしませんし、教会に出席し、まことの神様を礼拝しようとはしないのです。
それでは日本人は非宗教的な民族なのでしょうか。いいえ。日本人ほど宗教的な民族はいないと思われるのです。
これほどに仏教、神道、そしてキリスト教など、様々な宗教の行事を大切にする民族は他にいるのでしょうか。
まさに八百万(やおよろず)の神を祭っているのです。偽物の神々は、数え切れないほど存在しますが、まことの本物の神様は、主イエス・キリスト、ただおひとりであられます。
このお方に通じる道を、悪魔が見えなくし、隠してしまっているのです。しかしいつまでも、そのままではありません。やがて多くの人々の目が開かれる時がやって来ます。必ず神様の御手は日本に触れて下さいます。神の栄光が現わされるのです。》