◇◆◇日々のみ言葉
2017年9月21日(木)
◎聖書箇所 【ルカの福音書12章22節~23節】
12:22 それから弟子たちに言われた。「だから、私はあなたがたに言います。いのちのことで何を食べようかと心配したり、からだのことで何を着ようかと心配したりするのはやめなさい。
12:23 いのちは食べ物よりたいせつであり、からだは着物よりたいせつだからです。」
◎ショートメッセージ
《昨日に引き続き、同じみ言葉の箇所からの学びとなります。この教えは、マタイの福音書の中の「山上の垂訓」にも語られた教えです。
聖書学者の中には、ルカは、マタイの福音書の「山上の垂訓」をまとめて、ここに挿入したのではないか、と主張する者もいますが、所々の言葉の言い回し等の違いから、別な場所と時との教えであると考える方が自然であると思われます。
よって「山上の垂訓」の箇所と区別する為に、「平地の説教」とも言われています。
十二使徒たちは、ある時イエス様にこのように言いました。
『「ご覧ください。私たちは、何もかも捨てて、あなたに従ってまいりました。私たちは何がいただけるでしょうか。」(マタイの福音書19:27抜粋)』
これは本当に真実なことです。
マタイの福音書によれば、
『イエスがガリラヤ湖のほとりを歩いておられたとき、ふたりの兄弟、ペテロと呼ばれるシモンとその兄弟アンデレをご覧になった。彼らは湖で網を打っていた。漁師だったからである。
イエスは彼らに言われた。
「私について来なさい。あなたがたを、人間をとる漁師にしてあげよう。」
彼らはすぐに網を捨てて従った。
そこからなお行かれると、イエスは、別のふたりの兄弟、ゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネが、父ゼベダイと一緒に舟の中で網を繕っているのをご覧になり、ふたりをお呼びになった。
彼らはすぐに舟も父も残してイエスに従った。(マタイの福音書4:18~4:22)』と書かれています。
ペテロとその弟アンデレ、そしてゼベタイの子ヤコブとヨハネは漁師だったのです。彼ら本当に自分たちの仕事を、つまり生きて行く生活手段を手放したのです。
もちろん彼らは、再び漁師に戻ることも出来ました。実際に彼らは、イエス様が復活された後、ガリラヤで漁師に戻っています。
しかし二度と戻れない者たちもいたのです。それはマタイと呼ばれた取税人レビとその弟ヤコブです。彼らはその後、取税人の世界から追放されたからです。
使徒たちの関心事は、やはり基本的な生活問題だったのです。これはむしろ当然と言えば当然です。イエス様が共におられた時は良かったのですが、十字架に掛けられ死んだ時には、まさにどん底であったことでしょう。
「いのちは食べ物よりたいせつであり、からだは着物よりたいせつだからです。」
「いのち」「からだ」とは、人を表わしています。実はこの訳はあまり正しくありません。 イエス様が言われた真意は、父なる神様にとって、人の存在そのものは、食べ物や着物よりも大切なのだ、と言うことなのです。
それゆえ、父なる神様は、イエス様を信じる者に、与えてくださるのです。》