◇◆◇日々のみ言葉
2017年9月22日(金)
◎聖書箇所 【ルカの福音書12章24節】
12:24「烏のことを考えてみなさい。蒔きもせず、刈り入れもせず、納屋も倉もありません。けれども、神が彼らを養っていてくださいます。あなたがたは、鳥よりも、はるかにすぐれたものです。」
◎ショートメッセージ
《マタイの福音書の中の「山上の垂訓」の中の、同一の教えを見てみますと、
『「空の鳥を見なさい。種蒔きもせず、刈り入れもせず、倉に納めることもしません。けれども、あなたがたの天の父がこれを養っていてくださるのです。あなたがたは、鳥よりも、もっとすぐれたものではありませんか。」(マタイの福音書6:26)』と書かれています。
ルカの福音書とマタイの福音書に書かれたイエス様のお言葉を比較しますと、かなり異なっていることが分かります。ここから、イエス様は「山上の垂訓」の教えを、何度も何度もあらゆる場所において教えられたことが察しられるのです。
「山上の垂訓」は、間違いなく弟子たちへの教えです。繰り返し、繰り返し教えられたことに違いないのです。
ここで大切な真理をイエス様は言われています。
ルカでは、「神が彼らを養ってくださいます。」となっていますが、マタイでは、「あなたがたの天の父がこれを養っていてくださるのです。」となっています。
自然界の動物も鳥も、神が養っておられることに間違いはありませんが、何だか客観的で、一般的な感じがしないでもありません。
しかし、「あなたがたの天の父が」と言われたイエス様の表現は、全く意味が異なっています。
それは、創造主なる神を「天の父」と呼ぶことができるのは、イエス様を信じ従う者だけに許されたことなのです。
私たちクリスチャン・救われた者は、聖霊様によって、創造主なる神様を「天の父」、あるいは「お父様」と呼ぶことが出来るのです。これは特権です。とてつもない恵みです。
まさしく、使徒パウロが言う通りです。
『神の御霊に導かれる人は、だれでも神の子どもです。あなたがたは、人を再び恐怖に陥れるような、奴隷の霊を受けたのではなく、子としてくださる御霊を受けたのです。私たちは御霊によって、「アバ、父。」と呼びます。
私たちが神の子どもであることは、御霊ご自身が、私たちの霊とともに、あかししてくださいます。もし子どもであるなら、相続人でもあります。私たちがキリストと、栄光をともに受けるために苦難をともにしているなら、私たちは神の相続人であり、キリストとの共同相続人であります。(ローマ人への手紙8:14~8:17)』と。
天の父が、ご自分の愛する子どもたちに、どうして衣食住を与えないようなことがあるでしょうか。
与えられるのです。与えてくださるのです。なぜなら、天の父なる神様にとって、私たちは、鳥よりも、もっと「すぐれたもの」、いいえ「最高傑作」なのですから。》