◇◇◆日々のみ言葉
2017年9月23日(土)
◎聖書箇所 【ルカの福音書12章25節~26節】
12:25「あなたがたのうちのだれが、心配したからといって、自分のいのちを少しでも延ばすことができますか。
12:26 こんな小さなことさえできないで、なぜほかのことまで心配するのですか。」
◎ショートメッセージ
《マタイの福音書では、
『「あなたがたのうちだれが、心配したからといって、自分のいのちを少しでも延ばすことができますか。」(マタイの福音書6:27)』
となっており、ルカ12:25と同じことを言われていますが、次に続く12:26はありません。
私たち人間は、健康が与えられていますと、子どもの頃や若い時には、自分の命が長く続くと思っており、自分の寿命についてはまったく無関心である場合が多いようです。
しかし年齢を重ね、神様が定められた人の齢(百二十歳)の半分である還暦(六十歳)を過ぎた頃から、自分の残された人生、あるいは寿命を考え始めるようです。
今、社会では「婚活」以外に、「就活」ならず「終活」と言う、新しい言葉が流行り始めています。つまり自分が死んだ後、あるいは死ぬ事を予想して、葬儀や遺産相続を含めて、準備することを意味しています。確かに、その方が残された遺族にとっては親切であるかも知れません。
しかし、私たちクリスチャンは違います。主イエス様の十字架によって罪赦され、永遠のいのちをいただいた者は違うのです。
人間は誰であっても、自分の寿命を延ばすことは出来ません。私たちの寿命は神様の御心の中にあるのです。
イエス様が、「もうそれ以上、地上で苦しむ必要はありません。さあ、御国の私の所に来なさい。」と言われれば、天国へ行くまでです。
しかし、「まだ、あなたのしなければならない働きは残っています。それをやり遂げるまでは、地上に留まっていなさい。」と主が仰せられれば、肉体の死は訪れないのです。
私たちは、私たちに命を与え、また命を取られるお方に、委ねる以外にはないのです。私たちの命は、もはや自分のものではありません。主イエス様のものなのです。
「終活」
確かに、「死への備え」は決して悪いものではありません。しかし本当の「死への備え」は、それとは違うのです。
その人は、死んだ後も実は生きているのです。イエス様をまだ知らない多くの人々は、死んだら、つまり心臓が停止したら、それで終わりだと思っています。違うのです。なぜなら私たち人間は、神様に似せて造られた存在だからです。魂を持った霊は、まだ生きています。その人の人格は存在するのです。
そして主イエス様を信じ救われている人は、イエス様と共に、あるいは天使と共に、御国に昇って行きます。
しかし主イエス様を拒んだ人は、そうではないのです。その人は、地下に降りて行くのです。行き先は地獄です。
本当の終活こそ、死への備えこそが、主イエス様を信じることなのです。その為に、イエス様は、今から二千年ほど前に、身代わりとして十字架にかかって下さったのです。》