• 2026年2月8日礼拝メッセージの概要

    ※本日の聖書箇所「ルカの福音書12章13節~21節」(新約p.141上段右側)
    12:13 群衆の中の一人がイエスに言った。「先生。遺産を私と分けるように、私の兄弟に言って下さい。」
    12:14 すると、イエスは彼に言われた。「いったいだれが、私をあなたがたの裁判官や調停人に任命したのですか。」
    12:15 そして人々に言われた。「どんな貪欲にも気をつけ、警戒しなさい。人があり余るほど持っていても、その人のいのちは財産にあるのではないからです。」
    12:16 それからイエスは人々にたとえを話された。「ある金持ちの畑が豊作であった。
    12:17 彼は心の中で考えた。『どうしよう。私の作物をしまっておく場所がない。』
    12:18 そして言った。『こうしよう。私の倉を壊して、もっと大きいのを建て、私の穀物や財産はすべてそこにしまっておこう。
    12:19 そして、自分のたましいにこう言おう。「わがたましいよ、これから先何年分もいっぱい物がためられた。さあ休め。食べて、飲んで、楽しめ。」』
    12:20 しかし、神は彼に言われた。『愚か者、おまえのたましいは、今夜おまえから取り去られる。おまえが用意した物は、いったいだれのものになるのか。』
    12:21 自分のために蓄えても、神に対して富まない者はこのとおりです。」

    ◎メッセージ【ある金持ちのたとえ】
    《「先生。遺産を私と分けるように、私の兄弟に言って下さい。」
    当時、ユダヤ教のラビたちには、よくこうした問題が持ち込まれました。主イエスもラビの一人として思われていたために、このような訴えがなされたわけです。しかし、主イエスは、彼の調停官になることを、明確に拒否されました。
    そして、そこにいる人々に向けて語られました。「どんな貪欲にも気をつけ、警戒しなさい。人があり余るほど持っていても、その人の命は財産にあるのではないからです。」
    この言葉から、主イエスに訴えた人は、ユダヤの決まり通りではなかったとしても、ある程度の遺産を受け取っていた可能性があります。
    さて、主は、貪欲について、一つのたとえを話されました。しかし、この話は実際に起こったこととも考えられています。
    「ある金持ちの畑が豊作であった。彼は心の中で考えた。『どうしよう。私の作物をしまっておく場所がない。こうしよう。私の倉を壊して、もっと大きいのを建て、私の穀物や財産はすべてそこにしまっておこう。そして、自分のたましいにこう言おう。「わがたましいよ、これから先何年分もいっぱい物がためられた。さあ休め。食べて、飲んで、楽しめ。」』
    ここに登場する「金持ち」は、一生懸命働いて、自分の手で財を築きあげたと思われます。しかし、神様は彼のことを、「愚か者」と呼んでいるのです。
    『愚か者、おまえのたましいは、今夜おまえから取り去られる。おまえが用意した物は、いったいだれのものになるのか。』
    たとえ、多くの財産を持っていたとしても、人は自分の命を長らえることは出来ません。また、多くの財産で「永遠のいのち」を買うことは出来ないのです。
    人生で一番大切なことは、創造主である真の神様に出会うことです。罪から救われることであり、「神の子ども」にされることにあります。
    ルカは16章に、主イエスが話された「貧乏人ラザロと金持ち」の話を掲載しています。多くの学者は、これも実話であって、ルカ12章に書かれた「たとえ話」の続きであるとも考えています。ラザロは、ある金持ちの門前で乞食をやっていたのです。やがて、ラザロは召され、金持ちも死ぬことになります。何と、金持ちは地獄の炎の中にいて、ラザロは、父アブラハムの懐にいることが分かります。
    金持ちは、確かに生存中、多くの富を得ましたが、真の富である「御国」を選ばなかったことが分かります。それゆえに、神様は「愚か者」と言われたのです。伝承では、この金持ちの名前はダイブスで、もし彼が生きている間に悔い改め、その富で多くの貧しい者を救っていたとしたら、結末は全く異なっていたことでしょう。しかし、そのことに気づいた時には、もう手遅れなのです。
    地獄は現実に存在します。そして、天国も実在します。私たち(神の子ども)が行くべき場所は、御国であり、新しいエルサレムなのです。》

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