◇◆◇日々のみ言葉
2017年11月3日(金)
◎聖書箇所 【ルカの福音書14章1節~2節】
14:1ある安息日に、食事をしようとして、パリサイ派のある指導者の家にはいられたとき、みんながじっとイエスを見つめていた。
14:2 そこには、イエスの真正面に、水腫をわずらっている人がいた。
◎ショートメッセージ
《ルカの福音書の学びも、今日から、第14章に入ります。
ユダヤの人々は、安息日を非常に大切にします。その日は聖なる日なのですから、ユダヤ人としての資格を持つ者は皆、会堂に集まって礼拝を捧げるのです。
資格とは、ユダヤ社会から追放された者ではなく、また系図をしっかりと持つ者であり、なおかつバル・ミツバを受け、正式に成人男子に加えられた者に限られるのです。
イエス様は、その礼拝において「ラビ」として教えられたようです。その頃のイエス様は、公生涯の最後の一年間に入っていましたから、ユダヤ全土において、その名声は広まり、留まることを知りませんでした。
よって、安息日に、イエス様と弟子たちが、会堂に入られると、人々はイエス様の教えを聞こうとして、イエス様に講壇に立つことをお願いしたとしても、何ら不思議ではありません。
礼拝が終わり、その会堂の管理人が、パリサイ派の指導者であったのかも知れません。当時は、礼拝において、み言葉の解き明かしの奉仕をしたラビに、そのお礼として食事に誘うことは良くあることでした。
その場所が具体的に何処で、また何時なのか、そしてパリサイ人の指導者は誰なのか、ルカは、その辺りのことを詳細には書き記してはいませんので、ただただ推測するしかありません。
「みんながじっと見ていた」と書かれていますが、このパリサイ人の指導者の家には、すでに先客があったことが分かります。
もしかしたら、イエス様を食事に誘ったことは、罠だったのかも知れないのです。先客たちとは、彼の同僚のパリサイ人や律法学者たちだったからです。
この頃彼らは、何とかしてイエス様を陥れ、捕らえることが出来ないかと模索していました。これだけの仲間が集まっていたとしたら、罠であることが、十分に納得出来るものです。
そしてその理由が、次の聖句に書かれています。
『そこには、イエスの真正面に、水腫をわずらっている人がいた。』
イエス様が座るべき主賓席の真正面に、何と「水腫」をわずらっている人がいたと言うのです。あえて真正面に。
パリサイ人や律法学者たちは、「水腫」をわずらっている者と、一緒に食事をするようなことは決してありませんでした。なぜなら汚れるからです。
そうだとしたら、なぜこのような人が、そこに置かれていたのでしょうか。
これは、間違いなくイエス様に対する「挑戦状」とも言えるのです。》