• 日々のみ言葉 2017年11月4日(土)

    ◇◆◇日々のみ言葉

    2017年11月4日(土)

    ◎聖書箇所 【ルカの福音書14章3節~4節】
    14:3 イエスは、律法の専門家、パリサイ人たちに、「安息日に病気を直すことは正しいことですか、それとも良くないことですか。」と言われた。
    14:4 しかし、彼らは黙っていた。それで、イエスはその人を抱いて直してやり、そしてお帰しになった。

    ◎ショートメッセージ
    《ルカの福音書の学びも、昨日から、第14章に入りました。

     ある安息日のことです。いつものように主イエス様は、ユダヤ人の会堂で教え、その後、あるパリサイ派の指導者から食事に誘われたのです。
     おそらくこの指導者は、その会堂の管理を任された者だと思います。会堂管理者が、礼拝において聖書の解き明かしを行なったラビを、家に招いて食事を振る舞うことは、良くあることでした。

     イエス様が、その指導者の家に入いられると、すでに食卓の席に着いていた彼の同僚たちが、イエス様をじっと見つめたのです。これは歓迎されていないことが分かります。
     なぜならそこには、水腫を患っている人がいたのです。しかもイエス様の真正面に。

     これは異様な光景です。なぜかと言いますと、パリサイ人や律法学者たちは、極端に汚れることを嫌い、自分たちが清く正しい者と自負しているがゆえに、罪人や病を患っている者とは、食事を共にすることや、家に招くようなことは、しなかったからです。

     これは策略です。彼らは、あえて「水腫を患っている人」を、招いたのではなく、そこに置いたのです。

     これは、まさしく大きな罪です。なぜなら神様に対して挑戦していることになるからです。

     イエス様は、まことの人であられましたが、同時に創造主なる神様でもあられました。よって、瞬時に、その思惑のすべてを知り、このように言われたのです。

    「安息日に病気を直すことは正しいことですか、それとも良くないことですか。」

     彼らの律法解釈では、安息日における医療行為は、命に関わる場合を除いて、すべてが仕事と見なされ、律法違反であったのです。

     まさに本末転倒です。安息日は人間の為にあって、安息日の為に人間があるのではないからです。

     イエス様の質問に対して、彼らは黙っていました。彼らは答えることが出来なかったのです。「正しい」と言えば、自分たちが律法違反となり、「正しくない」と言えば、病を治す医療行為は、良い行ないであることを良く知っており、その行ないそのものを否定してしまうからです。
     ただ安息日にはいけない、と言うだけなのです。まさに偽善者です。

     イエス様は、彼らが決して触れようともしなかった「水腫を患っている人」を、抱いて、いやされました。何と言う愛のお方ではありませんか。そして帰されました。

     このことから、この人が、パリサイ人や律法学者たちに、強いて連れられて来たことは明白です。もしその家の主人の関係者であったのなら、食卓に留まるはずだからです。》

Comments are closed.