◇◆◇日々のみ言葉
2017年11月5日(日)
◎聖書箇所 【ルカの福音書14章5節~6節】
14:5 それから、彼らに言われた。「自分の息子や牛が井戸に落ちたのに、安息日だからといって、すぐに引き上げてやらない者があなたがたのうちにいるでしょうか。」
14:6 彼らは答えることができなかった。
◎ショートメッセージ
《イエス様は、律法の専門家、パリサイ人たちに、
「安息日に病気を直すことは正しいことですか、それとも良くないことですか。」と言われました。
しかし、彼らは黙っていました。それで、イエス様は「水腫を患っている人」を抱いて直してやり、そしてお帰しになったのです。
この時、指導者と共に食卓に着いていたパリサイ人や律法学者たちは、声には出しませんでしたが、心の中には怒りと憤りで一杯でした。
なぜならイエス様が成された癒しの御わざが、彼らの中では律法違反であり、そして罪と見なしていたからです。
何と言う偽善でしょうか。「水腫を患っている人」が目の前で、奇蹟によって癒やされたにもかかわらず、神様を誉め称えるどころか、その行為を罪と見なすのですから。
彼らの心の思いを、瞬時にすべて見て取ったイエス様は、彼らにたとえを話されたのです。
「自分の息子や牛が井戸に落ちたのに、安息日だからといって、すぐに引き上げてやらない者があなたがたのうちにいるでしょうか。」
「水腫を患っている人」のことは、彼らに取っては他人事です。よってその人が癒やされようが、癒やされないであろうが、何ら関係のないことだからです。
自分には無関係だからこそ、責め立てるのです。これが人間の姿です。これが罪なのです。自分のことは棚に上げて、自分以外の者の罪を告発するのですから。
私たちも同じです。自分には甘いのですが、他人には厳しいのです。またすぐ裁きます。これこそが罪です。裁くと言うことは自分が神様なのです。
裁くことの出来るお方はただ一人です。イエス様こそ、救い主であると同時に、裁き主であられるのです。
「自分の息子や牛が井戸に落ちたのに、安息日だからといって、すぐに引き上げてやらない者があなたがたのうちにいるでしょうか。」
いるはずがないではありませんか。なぜならこれはその人に取っては他人事ではなく、自分に直接かかわることだからです。
「彼らは答えることができなかった。」
これも罪です。黙っていることは、心が頑な証拠です。もしイエス様の語られた言葉に心打たれたのなら、悔い改めて声に出して言うべきです。
「主イエス様。お許し下さい。あなたが言われる通りです。私たちが間違っておりました。」と。
なぜ言えないのでしょうか。それは彼らのプライドが邪魔をしているからです。私たちは、何時でも主イエス様の御前においては、しなやかで柔らかな心でいるべきです。》