◇◆◇日々のみ言葉
2025年4月18日(金)
◎聖書箇所【第Ⅱコリント人への手紙4章3節~4節】
4:3 それでもなお私たちの福音におおいが掛かっているとしたら、それは、滅びる人々のばあいに、おおいが掛かっているのです。
4:4 そのばあい、この世の神が不信者の思いをくらませて、神のかたちであるキリストの栄光にかかわる福音の光を輝かせないようにしているのです。
◎ショートメッセージ
《昨日と同じ箇所からとなります。再度ですが、現代訳を掲載いたします。
『4:3 それでも、私たちの語る福音がはっきり分からないという人がいるなら、その人たちは滅びに至る人たちである。
4:4 それは、悪魔が信じようとしない人たちの心の目をくらまし、神ご自身であるキリストの栄光に輝く福音を分からないようにしているのである。』
ここで、パウロは、「滅びに至る人々」と言っています。しかし、父なる神様のみ心は違うと思うのです。
使徒ヨハネはこう言っています。
『神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。神が御子を世に遣わされたのは、世をさばくためではなく、御子によって世が救われるためである。(ヨハネ3:16~3:17)』と。
すべての人が、主イエス・キリストを信じて救われることこそが、父なる神様のみ心です。なぜなら、主イエス様は、すべての人の罪を背負われたからです。
主が生まれる前、すなわち旧約時代において、神の人と呼ばれた人たちを除いて、死んで行った多くの魂については、分からないのが実状です。
しかし、主が十字架に掛かられて、絶命された時に、生きていた人々や、またその日を境として、遙かな未来にまでに生まれ出て来ることになる人々の為に、主は身代わりとなって死んで下さったのです。
「二千年ほど前のイエス・キリストと、2025年に生きている私と何の関係があるのか」と言う質問をする若い人も多く見受けられますが、大いに関係があります。
「福音」は恵みなのです。誰でも、その恩恵にあずかることが出来ます。ただし、条件があります。自分が罪人であることを認識し、罪を悔い改めて、主イエス様を救い主として告白し、私の主として、心の奥底に信じ受け入れることです。
そうするならば、神の子どもとされ、罪の赦しと永遠の命をいただくことになるのです。
しかし、実際に、福音が語られたとしても、信じ受け入れようとしない人も存在することは事実です。その時こそ、ここでパウロが言うことが真実になることとなります。》