• 2026年2月1日礼拝メッセージの概要

    ※本日の聖書箇所「ルカの福音書12章8節~12節」(新約p.141上段右側)
    12:8 「あなたがたに言います。誰でも人々の前で私を認めるなら、人の子もまた、神の御使いたちの前でその人を認めます。
    12:9 しかし、人々の前で私を知らないと言う者は、神の御使いたちの前で知らないと言われます。
    12:10 人の子を悪く言う者は誰でも赦されます。しかし、聖霊を冒涜する者は赦されません。
    12:11 また、人々があなたがたを、会堂や役人たち、権力者たちの所に連れて行った時、何をどう弁明しようか、何を言おうかと心配しなくてよいのです。
    12:12 言うべきことは、そのときに聖霊が教えて下さるからです。」

    ◎メッセージ【人々の前で】
    《「あなたがたに言います。誰でも人々の前で私を認めるなら、人の子もまた、神の御使いたちの前でその人を認めます。」
    「人々の前で私を認める」ということは、十二使徒たちに取っては、主の弟子であることを公言することであり、私たちに取っては、神の子どもである自分の立場を明確にすることだと考えます。
    主が話されたこの時点は、主の名声がユダヤ全体にまで広まっていた時でした。しかし、ゲッセマネの園において、それが真逆になるのです。
    主イエスが言われた言葉の真意を、やがてシモン・ペテロは身を持って体験します。彼は、主が預言された通り、大祭司アンナスの家の庭において、主を三度知らないと否定します。
    しかし、この失敗を通して、彼は、最高法院の議会において聖霊に満たされ、彼の生涯における最高のメッセージを語ることになります。まさしく、主が約束された通りなのです。
    使徒の働きによれば、『翌日、民の指導者たち、長老たち、律法学者たちは、エルサレムに集まった。大祭司アンナス、カヤパ、ヨハネ、アレクサンドロと、大祭司の一族も皆出席した。彼らは二人を真ん中に立たせて、「おまえたちは何の権威によって、また、誰の名によってあのようなことをしたのか」と尋問した。その時、ペテロは聖霊に満たされて、彼らに言った。」』とあります。
    さて、メッセージの核心部に入ります。私たちは、一体誰なのでしょうか。使徒ヨハネは、「私たちは神の子どもである」ことを明確に述べています。
    唯一の救い主である主イエスの十字架と復活を信じた私たちは、創造主なる神様を「お父様」とお呼びすることが出来るようにされました。救いを受けた私たちの内側には聖霊様が住んでおられます。それこそが、神の子どもとされた確固たるしるしです。
    私たちの国籍は天にあります。この世界は私たちに取っては仮庵なのです。現在、日本において、神の子ども(クリスチャン)であることを、公言しにくい状況に追い込まれていることも事実です。
    なぜなら、本物はたった一つですが、異端やカルト教会が数多く存在しているからです。しかし、そのような状況下であっても、私たちは「旗印」を明確にしなければなりません。
    私たちは、かつては罪人でしたが、今は神様の恵みと哀れみによって「神の子ども」とされた者なのです。それゆえ、常に神様が共に歩んで下さいます。また、敵の攻撃に対しては、主イエスの御名による権威が与えられています。私たちは、未だこの世に置かれていますが、もはやこの世の者ではないのです。その認識の上に堅く立つべきです。》

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