◇◆◇日々のみ言葉
2017年11月10日(金)
◎聖書箇所 【ルカの福音書14章15節】
14:15 イエスと一緒に食卓に着いていた客のひとりはこれを聞いて、イエスに、「神の国で食事する人は、何と幸いなことでしょう。」と言った。
◎ショートメッセージ
《ルカは、この客が誰であるのか、書き記してはいません。「客のひとり」とありますから、イエス様を食卓に招いた指導者の関係の者であることは間違いないでしょう。とするならば、パリサイ人であった可能性は、非常に高いと言えるでしょう。
「神の国で食事する人は、何と幸いなことでしょう。」
この文章だけでは、その客のひとりが、どのような意味を込めて言ったのかは、量りしかねます。
イエス様のお言葉に感動して言ったのかも知れません。しかし、もしかしたら、ひやかしの意味を込めて、言ったのかも知れないのです。
なぜならイエス様は、このように言われたからです。
「昼食や夕食のふるまいをするなら、友人、兄弟、親族、近所の金持ちなどを呼んではいけません。でないと、今度は彼らがあなたを招いて、お返しすることになるからです。
祝宴を催すばあいには、むしろ、貧しい人、不具の人、足なえ、盲人たちを招きなさい。その人たちはお返しができないので、あなたは幸いです。」
パリサイ人や律法学者たちは、貧しい者、不具の者、そして足なえや盲人たちと一緒に食事をするようなことは、とんでもないことだと思っていたのです。
なぜなら、そのような者たちは、自分の罪、あるいは親の罪によって、生まれついたのだと考えており、あるいは罪によってそのように罰せられたと思っていたからです。 また貧乏人は、神様の祝福のない家庭だからこそ、貧乏になっているとも考えていたからです。要するに因果応報です。
イエス様は、この言葉を聞いて、この後「たとえ」を話されます。そのたとえの内容から考えますと、やはり「神の国で食事する人は、何と幸いなことでしょう。」と言う声は、皮肉を込めて発せられたと取れるのです。
そうだとしたら、その意味は、
「そんな罪人たちばかりが集まっている、神の国の食卓の席には行きたいはずがないではないか。」と言うことになります。
パリサイ人や律法学者たちは、宗教的活動で生活をしていたのではなく、正業を営んでおり、多くの場合には、豊かな富を持っていました。
イエス様は、その与えられた富から、お返しすることの出来ない弱い者たちを、食卓に招いて施しをしなさい、と言われているのです。》