• 2017年12月31日礼拝メッセージの概要

    ◇◆◇2017年12月31日感謝礼拝
    ◎本日の聖書箇所 【詩篇146篇1節~10節】 (旧約p.966上段左側)
    146:1 ハレルヤ。私のたましいよ。主をほめたたえよ。
    146:2 私は生きているかぎり、主をほめたたえよう。いのちのあるかぎり、私の神に、ほめ歌を歌おう。
    146:3 君主たちにたよってはならない。救いのない人間の子に。
    146:4 その息が絶えると、その者はおのれの土に帰り、その日のうちに彼のもろもろの計画は滅びうせる。
    146:5 幸いなことよ。ヤコブの神を助けとし、その神、主に望みを置く者は。
    146:6 主は天と地と海とその中のいっさいを造った方。とこしえまでも真実を守り、
    146:7 しいたげられる者のためにさばきを行ない、飢えた者にパンを与える方。主は捕われ人を解放される。
    146:8 主は盲人の目をあけ、主はかがんでいる者を起こされる。主は正しい者を愛し、
    146:9 主は在留異国人を守り、みなしごとやもめをささえられる。しかし主は悪者の道を曲げられる。
    146:10 主は、とこしえまでも統べ治められる。シオンよ。あなたの神は代々にいます。ハレルヤ。

    ◎メッセージの概要 【私の魂よ。主を誉め讃えよ。】
    《詩篇146篇から150篇までの詩篇を「ハレルヤ詩篇」と言います。都上りの歌とも言われ、エルサレムに向かう巡礼の旅人たちが、エルサレムに近づくにつれ、この詩篇を謳いながら、一歩一歩、歩いて行きました。
     この詩篇の作者は、「ハレルヤ。私のたましいよ。主をほめたたえよ。私は生きているかぎり、主をほめたたえよう。いのちのあるかぎり、私の神に、ほめ歌を歌おう。」と神様を賛美しています。これこそが神様の望まれることであり、また私たちがすべきことなのです。 さて物事がすべて順風満帆に行っている時に、私たちは神様に感謝を捧げ、賛美することは容易いことなのですが、実はこの詩篇の作者はその反対の状況に置かれているのです。
     なぜなら、「わが魂よ。」と言っている所に、そのすべてがあるからです。魂の部分にこそ、「人格」と「感情」すなわち心が宿っているからです。
     人は楽しい時、喜びで満たされている時には、感情も高揚していて、また陽気な気分でいることは出来ますが、逆境においては、悲しんでおり、苦しんでいる人の魂は、落胆し、絶望的であり、どうやって神様を誉め讃えることが出来るでしょうか。この作者は、神様から過去にいただいた恵みと奇蹟とを思い起こしているのです。
     ダビデは、サウル王によって苦境に立たされた時、このように謳っています。
    「わがたましいよ。主をほめたたえよ。私のうちにあるすべてのものよ。聖なる御名をほめたたえよ。主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。」と。これは宣言でもあります。
     またこの詩篇の作者はこのように言っています。「君主たちにたよってはならない。救いのない人間の子に。」
     同じようにイザヤは、ユダの国とその首都エルサレムに対して、このような先見の言葉を預言しています。
    「鼻で息をする人間を頼りにするな。そんな者に、何の値うちがあろうか。」
     私たちクリスチャンは、誰を信じ頼るべきなのか、この作者ははっきりと宣告しています。
    「幸いなことよ。ヤコブの神を助けとし、その神、主に望みを置く者は。」
     そして今、新約時代において、頼るべきお方は誰なのか、イエス様は弟子たちに教えられました。
    「また私は、あなたがたが私の名によって求めることは何でも、それをしましょう。父が子によって栄光をお受けになるためです。あなたがたが、私の名によって何かを私に求めるなら、私はそれをしましょう。」
     このお方は、まことの人間でありましたが、同時に創造主なる神様でもあられました。このお方に私たちは頼るのです。このお方の御名に私たちはすがるのです。
     詩篇の作者は、はっきりと告白しています。
    「主は天と地と海とその中のいっさいを造った方。とこしえまでも真実を守り飢えた者にパンを与える方。主は捕われ人を解放される。主は盲人の目をあけ、主はかがんでいる者を起こされる。」と。これこそイエス様です。
     私たちは、主イエス様の御名によって大胆に求めます。そして約束のものを手に入れる為には、神様が動かれる為には、私たちの側にすべきことがあるのです。
     そのことについてパウロはこう勧めています。
    「いつも主にあって喜びなさい。もう一度言います。喜びなさい。何も思い煩わないで、あらゆるばあいに、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。」
     もし私たちが神様を本当に信頼し信じ頼っているのなら、心に平安があるはずです。しかし、私たちの心に平安がないとしたら、私たちは神様を信頼していないことになるのです。
     信仰とは、目に見えることを信じるのではなく、神様の語られたみ言葉を信じ信頼することなのです。私たちの信仰の量に応じて、神様は約束のものを、そして祈りの答えを与えて下さいます。》

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