◇◆◇日々のみ言葉
2018年2月14日(水)
◎聖書箇所 【ルカの福音書18章41節】
18:41 彼が近寄って来たので、「私に何をしてほしいのか。」と尋ねられると、彼は、「主よ。目が見えるようになることです。」と言った。
◎ショートメッセージ
《イエス様は立ち止まって、叫んでいる盲人をそばに連れて来るように言いつけられたのです。
おそらく、一番先頭を歩いていたシモン・ペテロともう一人の弟子が、すぐに彼の所にとんで行きました。
マルコの福音書には、
『すると、イエスは立ち止まって、「あの人を呼んで来なさい。」と言われた。そこで、彼らはその盲人を呼び、「心配しないでよい。さあ、立ちなさい。あなたをお呼びになっている。」と言った。
すると、盲人は上着を脱ぎ捨て、すぐ立ち上がって、イエスのところに来た。(マルコの福音書10:49~10:50)』と、書かれています。
ここから分かることは、弟子たちはバルテマイの所に行って起き上がらせようとしたことです。この時バルテマイは、乱暴を受けるかと思い、かなり怖がったと思われます。
それゆえ弟子が、
「心配しないでよい。さあ、立ちなさい。あなたをお呼びになっている。」と言ったのです。
すると彼は、上着を脱ぎ捨てて、弟子たちに誘導されながら、主イエス様の御そばに行きました。
ルカは、ただ単に「上着」としか書いていませんが、当時のユダヤでは、衣服によって、その人の職業が一見して分かるようになっていましたから、おそらく盲人が着るべき上着であった可能性が非常に高いと思われます。
それを脱ぎ捨てるのですから、彼はイエス様によっていやされる確信があったと思えるのです。
「もう二度と、この場所に座って物乞いはしない。自分は今日から盲人ではなく、目が見えて普通の人になる。」と確固たる思いが、信仰があったのではないでしょうか。
イエス様は彼に質問します。
「私に何をしてほしいのか。」
すると、彼は答えます。
「主よ。目が見えるようになることです。」
もちろんイエス様は、彼が答えなくても、彼の必要なものを十二分知っておられました。しかし、それでも彼に聞いたのです。
彼が自分の必要なことを、最も願っていることを、あえて口に言わせたのです。
私たちは以外と、漠然な祈りをしがちなのです。イエス様は、「もっと具体的に祈りなさい。求めなさい。信仰を持って口で告白し、そしてそれは、すでに備えられたと、あるいは、すでに与えられたと信じなさい。」、と言われるのです。
ここに信仰の奥義があるのです。明日は、バルテマイのいやしの場面からの学びの最後となります。》