◇◆◇日々のみ言葉
2018年4月5日(木)
◎聖書箇所【ルカの福音書20章45節~47節】
20:45 また、民衆がみな耳を傾けているときに、イエスは弟子たちにこう言われた。
20:46 「律法学者たちには気をつけなさい。彼らは、長い衣をまとって歩き回ったり、広場であいさつされたりすることが好きで、また会堂の上席や宴会の上座が好きです。
20:47 また、やもめの家を食いつぶし、見えを飾るために長い祈りをします。こういう人たちは人一倍きびしい罰を受けるのです。」
◎ショートメッセージ
《イエス様による弟子へのこの教えも、三つの共観福音書に掲載されています。
ルカは、ほぼマルコと同じくらいの文書量をさいていますが、むしろマルコの福音書のその部分をそのまま掲載したと言っても良いでしょう。
これだけでも、ルカはマルコの福音書を知っていたことは明白ですし、ルカの福音書は、マルコとマタイの福音書を基に書かれたことが分かると言うものです。
さてマタイは、ほぼ23章の全部にわたって、イエス様が「律法学者たち」について弟子たちに教えられたことを書き記しています。
ここでは、ルカと同じ箇所だけに絞って、同一平行記事を掲載します。
『そのとき、イエスは群衆と弟子たちに話をして、こう言われた。
「律法学者、パリサイ人たちは、モーセの座を占めています。
ですから、彼らがあなたがたに言うことはみな、行ない、守りなさい。けれども、彼らの行ないをまねてはいけません。彼らは言うことは言うが、実行しないからです。
また、彼らは重い荷をくくって、人の肩に載せ、自分はそれに指一本さわろうとはしません。
彼らのしていることはみな、人に見せるためです。経札の幅を広くしたり、衣のふさを長くしたりするのもそうです。
また、宴会の上座や会堂の上席が大好きで、広場であいさつされたり、人から先生と呼ばれたりすることが好きです。
しかし、あなたがたは先生と呼ばれてはいけません。あなたがたの教師はただひとりしかなく、あなたがたはみな兄弟だからです。
あなたがたは地上のだれかを、われらの父と呼んではいけません。あなたがたの父はただひとり、すなわち天にいます父だけだからです。
また、師と呼ばれてはいけません。あなたがたの師はただひとり、キリストだからです。
あなたがたのうちの一番偉大な者は、あなたがたに仕える人でなければなりません。
だれでも、自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされます。
しかし、忌わしいものだ。偽善の律法学者、パリサイ人たち。あなたがたは、人々から天の御国をさえぎっているのです。自分もはいらず、はいろうとしている人々をもはいらせないのです。
忌わしいものだ。偽善の律法学者、パリサイ人たち。あなたがたは、やもめたちの家を食いつぶしていながら、見えのために長い祈りをするからです。ですから、あなたがたは、人一倍ひどい罰を受けます。」(マタイの福音書23:1~23:14)』となっています。
この教えで、一番大切なことは何でしょうか。それは律法学者たちのような偽善者になってはならないと言うことです。
イエス様は、律法学者たちの行ないを責めておられますが、実はそのことは彼らだけではないのです。
今、新約時代を生きる私たちにも、当てはまるのではないでしょうか。
つまり彼らが、敬虔な宗教家を演じていたように、私たちもクリスチャンを演じていないでしょうか。見かけは確かにクリスチャンかも知れません。
しかし主イエス様は、心を見られるのです。そして心の中にあるものが、口から出て来ますし、また行ないに現れるのです。
そんな私たちを変えて下さるのは、聖霊様だけしかおられません。聖霊様は、聖書を通して、み言葉を通して、私たちの心の奥底から変えて下さるのです。
明日も同じ箇所から考えて見ましょう。》