◇◆◇日々のみ言葉
2018年4月6日(金)
◎聖書箇所【ルカの福音書20章45節~47節】
20:45 また、民衆がみな耳を傾けているときに、イエスは弟子たちにこう言われた。
20:46 「律法学者たちには気をつけなさい。彼らは、長い衣をまとって歩き回ったり、広場であいさつされたりすることが好きで、また会堂の上席や宴会の上座が好きです。
20:47 また、やもめの家を食いつぶし、見えを飾るために長い祈りをします。こういう人たちは人一倍きびしい罰を受けるのです。」
◎ショートメッセージ
《昨日と同じ箇所からの学びとなります。今日はイエス様の言われた言葉の一つ一つを、より深く考えて見ましょう。
まず、イエス様は、ご自身の周りにいる弟子たちにこの教えをされました。しかし密閉された場所ではなく、ここはエルサレム神殿の中なのです。
当然、時の人であるイエス様に自分たちの地位をおびやかされかねないと、躍起になり怒りを覚えているパリサイ人や律法学者たちも、その弟子たちの周りに取り巻いています。
すると、いやが上にも、彼らの耳には、イエス様の言葉は届きます。それさえもイエス様の手の中にあることであり、また父なる神様の、彼らに対する哀れみと恵みでもあるのです。
「彼らは、長い衣をまとって歩き回ったり」
当時のユダヤ社会では、ある程度、その人の身なりが、その人の職業を表わしていたようです。
彼らは、人々から「ラビ」として多大な尊敬を受けていました。そしてラビにはラビのごとき「身だしなみ」があったのです。それが「長い衣」です。
なぜ歩き回る必要があるのでしょうか。それは弟子の獲得の為です。同胞のラビから、多大な尊敬と信頼を寄せられていたラビは、多くの弟子たちを持っていました。弟子の数が、その人気を伺わせていたのです。
まさに「数」です。
今で言うならば、メガチャーチでしょうか。私たちは、信者の数によって、教会の規模を決めていないでしょうか。そうだとしたら、このパリサイ人や律法学者たちと同じです。もちろん「数」も大事であることは言うまでもありません。
「広場であいさつされることが好き」
こちらからあいさつするのではないのです。相手が先にあいさつするのです。目下の者の方が、目上の者にあいさつするのは、理にかなったことであり、礼儀です。
「また会堂の上席や宴会の上座が好き」
会堂とはシナゴークのことです。その上席は、ラビが座る特等席なのです。また宴会の上座とは、その家の主人の右と左の座のことです。その宴会の主役こそ、主人の右の座に案内された人物であり、左の座はその次に重要な人物であることを意味するのです。
「また、やもめの家を食いつぶし」
パリサイ人や律法学者たちは、やもめから多大な寄付金をだまし取っていたようです。今風ならば、「振り込め詐欺」と言う所でしょうか。
「見えを飾るために長い祈りをします。」
このことも、私たちは注意しなければなりません。祈りとは、人に聞かせるのではありません。神様に話すのです。
時々、食膳の祈りを任される信者の方の中で、あまりにも長い時間をかけて、祈る人がいたりします。
私は不思議に思います。その人は、イエス様のこの言葉を知らないのでしょうか。
また祈りに上手と下手はありません。神様に向けて、心を注いで祈っているのか、いや話しているのかが問われるのです。私たちも、良く良く注意しなければならないのです。
さて、ルカの福音書20章の学びは終わりとし、明日から21章に入ります。》