◇◆◇日々のみ言葉
2025年8月1日(金)
◎聖書箇所【第Ⅱコリント人への手紙11章15節】
11:15 ですから、サタンの手下どもが義のしもべに変装したとしても、格別なことはありません。彼らの最後はそのしわざにふさわしいものとなります。
◎ショートメッセージ
《今日から8月に入ります。現代訳を掲載いたします。
『11:15 だから、悪魔に使われている者たちが、神の働き人のような格好をしたとしても不思議ではない。彼らの最後は、それにふさわしい罰をもって報いられるだけである。』
主イエスは、今から二千年ほど前、すべての人の罪の為に十字架にかかって死んで下さいました。
主が十字架上で、「テテラトライ(完了した)」と言われ、霊を父なる神様にお渡しになった時に、救いの御わざは完成したのです。
もちろん、言葉通りに、アダムとエバから始まって、すべてこの世に生まれ出た人の為に十字架にかかられたと私は信じています。
しかし、その「救いの御わざ」の法則が適応されるのは、主イエスが、まさに十字架上で死なれた瞬間に、全世界で生きていた人々、そして、私たちも含めてこれから生まれ出るすべての人々に当てはまることになると思うのです。
今、キリスト教会の中には、「セカンドチャンス」を主張する教会が少なからず存在します。それは、生前に主イエスを信じなかった者でも、死後にもう一度救われる機会が与えられるという教理です。中には、「イスカリオテのユダ」も含めて、すべての人が救われることを信じている者もいます。
しかし、私の師である尾山令仁先生は、真っ向から否定されました。聖書をギリシャ本文から、一人で訳された先生だからこそ、言えることであると私は確信しています。
さて、なぜ悪魔に使える者たちが存在するのでしょうか。しかも、「義のしもべ」や、「神の働き人」の格好をして、教会に忍び込んで来るのです。
そして、選民をも欺そうとします。なぜ、彼らは救いよりも滅びを選ぶのでしょうか。彼らの最後は、まさにそのしわざにふさわしいものとなるとパウロは言っています。明日も同じ箇所からとなります。》