◇◆◇日々のみ言葉
2018年5月6日(日)
◎聖書箇所【ルカの福音書22章17節~19節】
22:17 そしてイエスは、杯を取り、感謝をささげて後、言われた。「これを取って、互いに分けて飲みなさい。
22:18 あなたがたに言いますが、今から、神の国が来る時までは、私はもはや、ぶどうの実で造った物を飲むことはありません。」
22:19 それから、パンを取り、感謝をささげてから、裂いて、弟子たちに与えて言われた。「これは、あなたがたのために与える、私のからだです。私を覚えてこれを行ないなさい。」
◎ショートメッセージ
《さて時間になって、イエス様は食卓に着かれ、使徒たちもイエス様と一緒に席に着きました。と言うよりも、イエス様が指定された位置に横になったのです。
イエス様は言われます。
「私は、苦しみを受ける前に、あなたがたと一緒に、この過越の食事をすることをどんなに望んでいたことか。あなたがたに言いますが、過越が神の国において成就するまでは、私はもはや二度と過越の食事をすることはありません。」
そして、この後、聖餐式を制定されるのです。
ただ、イスカリオテのユダがこの聖餐式にあずかったかどうかは、学者の議論することになります。
ルカの福音書だけを見ますと、間違いなくこの場面には、ユダがいることになります。しかしマタイとマルコの福音書を見ますと、どちらとも言えないのです。
すると決め手はヨハネの福音書になります。
ヨハネの福音書では、ユダはパン切れを受け取ると、すぐに出て行くことになっています。
総合的に判断しますと、イスカリオテのユダは聖餐式の前に出て行ったことになるかと私は思います。私の師である尾山令仁先生は、その立場を取っています。
また、使徒パウロはこのように述べています。
『私は主から受けたことを、あなたがたに伝えたのです。すなわち、主イエスは、渡される夜、パンを取り、感謝をささげて後、それを裂き、こう言われました。
「これはあなたがたのための、私のからだです。私を覚えて、これを行ないなさい。」
夕食の後、杯をも同じようにして言われました。
「この杯は、私の血による新しい契約です。これを飲むたびに、私を覚えて、これを行ないなさい。」
ですから、あなたがたは、このパンを食べ、この杯を飲むたびに、主が来られるまで、主の死を告げ知らせるのです。従って、もし、ふさわしくないままでパンを食べ、主の杯を飲む者があれば、主のからだと血に対して罪を犯すことになります。
ですから、ひとりひとりが自分を吟味して、そのうえでパンを食べ、杯を飲みなさい。みからだをわきまえないで、飲み食いするならば、その飲み食いが自分をさばくことになります。(第一コリント人への手紙11:23~11:29)』と。
主イエス様に対して、裏切りの心を持ったまま、聖餐の恵みにあずかることは、罪を犯すことになるのです。
聖餐は、主イエス様を信じ、従う者に与えられるのです。だからこそパウロは、「まず自分を吟味しなさい。」と勧めているのです。
さて明日もまた、同じ箇所から、さらに深く考えて見たいと思います。》