◇◆◇日々のみ言葉
2018年5月15日(火)
◎聖書箇所【ルカの福音書22章33節~34節】
22:33 シモンはイエスに言った。「主よ。ご一緒になら、牢であろうと、死であろうと、覚悟はできております。」
22:34 しかし、イエスは言われた。「ペテロ。あなたに言いますが、きょう鶏が鳴くまでに、あなたは三度、私を知らないと言います。」
◎ショートメッセージ
《イエス様はペテロに言いました。
「シモン、シモン。見なさい。サタンが、あなたがたを麦のようにふるいにかけることを願って聞き届けられました。しかし、私は、あなたの信仰がなくならないように、あなたのために祈りました。だからあなたは、立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。」
このお言葉は、ルカの福音書だけに書き記されています。
しかもイエス様は、あえて本名の「シモン、シモン」と二回呼んでいます。しかしその後では、ペテロと言うのです。単なる言い回しなのでしょうか。それとも言い間違えたのでしょうか。
いいえ。
イエス様は、最初には、ご自身の愛するバルヨナ・シモンと言う人格に向けて語られています。シモンの魂の奥底に届くように、響くように、その言葉が残るように、語られたのです。
そしてシモンが、
「主よ。ご一緒になら、牢であろうと、死であろうと、覚悟はできております。」と言うと、
今度は、「ペテロ」と言われるのです。
ペテロと言う名は、誰が名付けましたか。イエス様ではありませんか。
『夜明けになって、弟子たちを呼び寄せ、その中から十二人を選び、彼らに使徒という名をつけられた。
すなわち、ペテロという名をいただいたシモンとその兄弟アンデレ、ヤコブとヨハネ、ピリポとバルトロマイ、マタイとトマス、アルパヨの子ヤコブと熱心党員と呼ばれるシモン、ヤコブの子ユダとイエスを裏切ったイスカリオテ・ユダである。(ルカの福音書6:13 ~6:16)』と、書かれていますように。
二回目には、使徒として、与えられた使命を持つ者として、語られているのです。
もっと分かりやすく、例をあげて説明します。
私は牧師の鈴木ですが、イエス様は、最初は私個人の名前(本名)を二回呼ばれたのです。竜実、竜実と。
そしてその次には名字(苗字)で、鈴木牧師と言われたことになります。
この違いなのです。
「ペテロのつまづき」は、使徒たちの真の指導者になる為に、他の七十人の弟子たちを含む、主に従う者たちの群れのリーダーとなる為に、シモンが通らなければならなかった試練であり、道であったのです。》