◇◆◇日々のみ言葉
2018年5月16日(水)
◎聖書箇所【ルカの福音書22章35節】
22:35 それから、弟子たちに言われた。「私があなたがたを、財布も旅行袋もくつも持たせずに旅に出したとき、何か足りない物がありましたか。」彼らは言った。「いいえ。何もありませんでした。」
◎ショートメッセージ
《イエス様はシモン・ペテロに言われました。
「シモン、シモン。見なさい。サタンが、あなたがたを麦のようにふるいにかけることを願って聞き届けられました。しかし、私は、あなたの信仰がなくならないように、あなたのために祈りました。だからあなたは、立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。」
「主よ。ご一緒になら、牢であろうと、死であろうと、覚悟はできております。」
「ペテロ。あなたに言いますが、きょう鶏が鳴くまでに、あなたは三度、私を知らないと言います。」
シモン・ペテロは、イエス様の言われた言葉を聞いて、たいへんなショックを受けたと思われます。
「主よ。ご一緒になら、牢であろうと、死であろうと、覚悟はできております。」
この言葉は、決して誇張ではありません。事実、ゲッセネマの園で、イエス様を捕らえに来た者たちに、剣を手に取って振り回し、大祭司のしもべの耳を切り落としたのは、誰でしょうか。シモン・ペテロなのです。
彼は、自分の言った言葉を、そして「主イエス様を三度知らないと自分が言うはずがない」ことを、証明する為に、暴挙に踊り出ると言うわけです。
さて、その場面は、やがて出て来ますので、ひとまず置きまして、今日の日々のみ言葉に行きたいと思います。
イエス様は、十一使徒に言われました。
「私があなたがたを、財布も旅行袋もくつも持たせずに旅に出したとき、何か足りない物がありましたか。」
「いいえ。何もありませんでした。」
当時のユダヤ社会では、旅人を持て成すことが美徳とされていました。なぜならユダヤ人の父と言われたアブラハムが自ら、旅人を持て成したからです。
その時、アブラハムが持て成した旅人とは、まだ肉体を持たれる前の主イエス様(主の顕現とも言います)と、二人の御使いであったのです。
イエス様は、十二使徒たちを二人一組の六チームに分けて、病をいやし、悪霊を追い出し、良き訪れを伝える為に、ユダヤの町々に遣わされたことがあります。
そんな彼らに感謝の意を表わす為にも、恵みが与えられた町々で、大いなる持て成しを受けたことは、察しがつくと言うものです。
しかしそれだけではありません。主の為に働く者には、必ずその報いが、報酬が与えられることを約束されておられるのです。
そして、彼らが行き着く前に、すでにイエス様が先回りされて、その恵みを備えてくださるのです。主の為に働く者が、飢えに苦しむことはないのです。
『「その家に泊まっていて、出してくれる物を飲み食いしなさい。働く者が報酬を受けるのは、当然だからです。家から家へと渡り歩いてはいけません。どの町にはいっても、あなたがたを受け入れてくれたら、出される物を食べなさい。」(ルカの福音書10:7~10:8)』と、まさにイエス様が言われた通りであったのです。
イエス様はそのことを彼らに思い起こさせているのです。》