◇◆◇日々のみ言葉
2018年5月17日(木)
◎聖書箇所【ルカの福音書22章35節】
22:35 それから、弟子たちに言われた。「私があなたがたを、財布も旅行袋もくつも持たせずに旅に出したとき、何か足りない物がありましたか。」彼らは言った。「いいえ。何もありませんでした。」
◎ショートメッセージ
《昨日と同じ箇所の学びとなります。
ここでイエス様は、「旅に出したとき」と言われています。
その「旅」とは、
マルコの福音書によりますと、
『また、十二弟子を呼び、ふたりずつ遣わし始め、彼らに汚れた霊を追い出す権威をお与えになった。また、彼らにこう命じられた。
「旅のためには、杖一本のほかは、何も持って行ってはいけません。パンも、袋も、胴巻きに金も持って行ってはいけません。くつは、はきなさい。しかし二枚の下着を着てはいけません。」
また、彼らに言われた。
「どこででも一軒の家にはいったら、そこの土地から出て行くまでは、その家にとどまっていなさい。もし、あなたがたを受け入れない場所、また、あなたがたに聞こうとしない人々なら、そこから出て行くときに、そこの人々に対する証言として、足の裏のちりを払い落としなさい。」
こうして十二人が出て行き、悔い改めを説き広め、悪霊を多く追い出し、大ぜいの病人に油を塗っていやした。(マルコの福音書6:7~6:13)』と、書き記されています。
イエス様は、ミニストリー(主にある奉仕)を「旅」だと言われているのです。当然、「旅」ですので、そこにはゴールがあることになります。もちろん「あてのない旅」と言うこともあるかも知れません。
しかし、イエス様が言われた通り、主イエス様の弟子として、「良き訪れ」の知らせを委ねられた者として、この地上における働きは、すべてが「旅」であるのです。
それでは、ゴールはどこでしょうか。
「御国」です。
「天国」です。
「主イエス様が、用意して下さった場所」です。
パウロは勧めています。
『競技場で走る人たちは、みな走っても、賞を受けるのはただひとりだ、ということを知っているでしょう。ですから、あなたがたも、賞を受けられるように走りなさい。
また闘技をする者は、あらゆることについて自制します。彼らは朽ちる冠を受けるためにそうするのですが、私たちは朽ちない冠を受けるためにそうするのです。
ですから、私は決勝点がどこかわからないような走り方はしていません。空を打つような拳闘もしてはいません。
私は自分のからだを打ちたたいて従わせます。それは、私がほかの人に宣べ伝えておきながら、自分自身が失格者になるようなことのないためです。(第Ⅰコリント9:24 ~9:27)』
栄光の御国こそが、私たち主を信じる者のゴールであり、目的地であり、旅の終点となるのです。
それだからこそ、前を見て、頭を上げて、しっかりと歩こうではありませんか。》