※本日の聖書箇所「ルカの福音書12章4節~7節」(新約p.140下段左側)
12:4「わたしの友であるあなたがたに言います。からだを殺しても、その後はもう何もできない者たちを恐れてはいけません。
12:5 恐れなければならない方を、あなたがたに教えてあげましょう。殺した後で、ゲヘナに投げ込む権威を持っておられる方を恐れなさい。そうです。あなたがたに言います。この方を恐れなさい。
12:6 五羽の雀が、二アサリオンで売られているではありませんか。そんな雀の一羽でも、神の御前で忘れられてはいません。
12:7 それどころか、あなたがたの髪の毛さえも、すべて数えられています。恐れることはありません。あなたがたは、多くの雀よりも価値があるのです。」
◎メッセージ【多くの雀よりも】
《さて、また「ルカの福音書」に戻ります。
「わたしの友であるあなたがたに言います。」
主は、十二弟子たちを、初めて「友」と呼ばれました。この言葉を、イスカリオテのユダは、どのように聞いていたのでしょうか。
「からだを殺しても、その後はもう何もできない者たちを恐れてはいけません。」
ここで、主イエスは大切な真理を教えています。死を迎えた「その後」が存在することを明らかにしているのです。私たちは「霊的存在」です。しかもその霊は魂を持っているのです。
「恐れなければならない方を、あなたがたに教えてあげましょう。殺した後で、ゲヘナに投げ込む権威を持っておられる方を恐れなさい。そうです。あなたがたに言います。この方を恐れなさい。」
ここで、主イエスは、私たち人間が最も恐れなければならない存在が誰であるのか、教えています。それは、「白い御座のさばき」において裁かれる父なる神様のことです。
この裁きの場においては、主は、裁判席ではなく、弁護側に立たれるに違いありません。そこで、主は、「行ないの書」を紐解かれ、次に「命の書」を開かれます。「命の書」には、間違いなく私たちクリスチャンの名前が書かれているのです。
ソロモンが書き記したとされる「伝道者の書」において、その結論は、
『結局のところ、もうすべてが聞かされていることだ。神を恐れよ。神の命令を守れ。これが人間にとってすべてである。神は、善であれ悪であれ、あらゆる隠れたことについて、すべてのわざをさばかれるからである。』と、なっています。
さて、そして次に主イエスは、雀のたとえを話されました。
「五羽の雀が、二アサリオンで売られているではありませんか。そんな雀の一羽でも、神の御前で忘れられてはいません。」
実は、これだけでは説明不足なのです。マタイの福音書における平行記事を見てみますと、
『「二羽の雀は一アサリオンで売られているではありませんか。そんな雀の一羽でさえ、あなたがたの父の許しなしに地に落ちることはありません。」』となっています。
ここでは、二羽の雀は一アサリオンで売られています。そうしますと四羽では二アサリオンになるはずです。ところが、ルカでは五羽で二アサリオンなのです。つまり一羽おまけなのです。主は、そんな雀の一羽でも、神様の御前で忘れられてはいないと言われるのです。
「それどころか、あなたがたの髪の毛さえも、すべて数えられています。恐れることはありません。あなたがたは、多くの雀よりも価値があるのです。」
これが、主イエス様からご覧になられた私たち一人一人なのです。要するに、私たちのすべてを知っておられるということです。主の御前において、私たちは何も隠し通すことは出来ません。しかし、そんな罪深い私たち一人一人を心から愛して下さっておられるのです。
だからこそ、身代わりとなって、十字架に掛かって下さったのです。すべての裁きと呪いを一身に受けて下さったのです。》