◇◆◇日々のみ言葉
2018年9月29日(土)
◎聖書箇所【使徒の働き2章41節~42節】
2:41 そこで、彼の言葉を受け入れた者は、バプテスマを受けた。その日、三千人ほどが弟子に加えられた。
2:42 そして、彼らは使徒たちの教えを堅く守り、交わりをし、パンを裂き、祈りをしていた。
◎ショートメッセージ
《シモン・ペテロは聖霊に満たされて、最高かつ最大のメッセージを語りました。ルカは、このように書き記しています。
『そこで、彼の言葉を受け入れた者は』と。
「言葉」なのです。
もう一度言います。
「言葉」なのです。
聖書の一番最初は、
『初めに、神が天と地を創造した。地は形がなく、何もなかった。やみが大いなる水の上にあり、神の霊は水の上を動いていた。そのとき、神が「光よ。あれ。」と仰せられた。すると光ができた。(創世記1:1~1:3)』と書かれています。
三位一体なる創造主の神様は、仰せられたのです。つまり「言葉」を持って創造されたのです。
と言うことは、創造の始まる前に、すでに「言葉」が存在したと言う真理が分かるのです。
私たちは人間は、普通一人でいる時には、一人で思いふけることはあっても、自分に対して、声を出して自分に語ることは、あまりしません。
しかし、天地創造の前にすでに「言葉」が存在していたことは、その「言葉」を伝える別の人格が存在していたことを意味しています。
つまり神様が一人であるならば、言葉を用いて「仰せられる」必要などないわけです。思えば良いのですから。
しかし創造主なる神様は、言葉を仰せられたのです。言葉を用いて創造なる御わざを成されたのです。
人格と人格とは、言葉をもって意思の疎通をはかります。つまり、言葉が存在していたことこそが、ヤーヴェなる神様は、まさしく父、御子、御霊の三つの位格を持っておられ、それと同時に一つであることが導かれるのです。
私は、創造の御わざは、父なる神様、御子イエス様、そして聖霊様が同時に言葉を発せられ、「光よ。あれ。」と、始められたと思っているのです。
少し難しくなってしまいましたが、明日も同じ箇所からの学びとなります。》