◇◆◇日々のみ言葉
2018年12月11日(火)
◎聖書箇所【使徒の働き5章27節~28節】
5:27 彼らが使徒たちを連れて来て議会の中に立たせると、大祭司は使徒たちを問いただして、
5:28 言った。「あの名によって教えてはならないときびしく命じておいたのに、何ということだ。エルサレム中にあなたがたの教えを広めてしまい、そのうえ、あの人の血の責任をわれわれに負わせようとしているではないか。」
◎ショートメッセージ
《昨日と同じ箇所からとなります。
昨日は、大祭司が言いました、
「あの名によって教えてはならないときびしく命じておいたのに、何ということだ。」と言う言葉について考えて見ました。
今日は、その続きの言葉、
「エルサレム中にあなたがたの教えを広めてしまい、そのうえ、あの人の血の責任をわれわれに負わせようとしているではないか。」、について考えて見たいと思います。
マタイの福音書には、
『しかし、祭司長、長老たちは、バラバのほうを願うよう、そして、イエスを死刑にするよう、群衆を説きつけた。
しかし、総督は彼らに答えて言った。
「あなたがたは、ふたりのうちどちらを釈放してほしいのか。」
彼らは言った。
「バラバだ。」
ピラトは彼らに言った。
「では、キリストと言われているイエスを私はどのようにしようか。」
彼らはいっせいに言った。
「十字架につけろ。」
だが、ピラトは言った。
「あの人がどんな悪い事をしたというのか。」
しかし、彼らはますます激しく「十字架につけろ。」と叫び続けた。
そこでピラトは、自分では手の下しようがなく、かえって暴動になりそうなのを見て、群衆の目の前で水を取り寄せ、手を洗って、言った。
「この人の血について、私には責任がない。自分たちで始末するがよい。」
すると、民衆はみな答えて言った。
「その人の血は、私たちや子どもたちの上にかかってもいい。」(マタイの福音書27:20~27:25)』と、書かれています。
ここから、ある事実が分かって来ます。
つまり群衆を先導し、バラバを釈放させるように仕向け、そして「主イエス様の血」についても、祭司長たちと、ユダヤの指導者たちが群衆に言わせたことが分かります。
つまり議会が、彼らが言い出したことなのです。彼らの思いなのです。
「その人の血は、私たちや子どもたちの上にかかってもいい。」
この言葉は、非情に恐ろしい言葉です。
この時の群衆、すなわちユダヤの人々は、確かに祭司長たちや長老たちの口車にまんまと乗せられてしまったのですが、彼らが望んだ通り、神の御子である主イエス・キリストの血は、真に彼らとその子孫にかかることになるのです。
紀元70年に、エルサレムは崩壊し、皇帝ティトスによって、祭司たちは皆処刑されます。
そして、その後のユダヤ人の歴史は、多くの人々が知っている通り、1945年にイスラエル建国まで、多くの血が流されるのです。
しかし神様の哀れみは、選民であるユダヤ人にも注がれ、今は多くのメシヤニック・ジューが存在します。
すなわち、主イエス・キリストをメシアとして、信じ受け入れたユダヤ人であって、クリスチャンとして生きると同時に、ユダヤの戒律は守ると言う人々のことです。
何と日本のクリスチャン人口よりも、今は多くなっており、増え続けているとの事です。アーメン。》