◇◆◇日々のみ言葉
2019年2月11日(月)
◎聖書箇所【使徒の働き7章59節~60節】
7:59 こうして彼らがステパノに石を投げつけていると、ステパノは主を呼んで、こう言った。「主イエスよ。私の霊をお受け下さい。」
7:60 そして、ひざまずいて、大声でこう叫んだ。「主よ。この罪を彼らに負わせないで下さい。」こう言って、眠りについた。
◎ショートメッセージ
《昨日は、ステパノが、最後に語った二つの言葉、その最初の言葉である、
「主イエスよ。私の霊をお受け下さい。」
から考えて見ました。
今日は、本当に最後の言葉、まさに決別のメッセージとなる、
「主よ。この罪を彼らに負わせないで下さい。」
から考えて見たいと思います。
昨日は、ステパノが主イエス様の十字架刑の場面に、多くの群衆の中の一人として存在していた可能性を、私は提示させていただきました。
そして、この決別の言葉こそが、ステパノがやがて真の救い主であられる、主イエス様を信じる切っ掛けとなったことを、私は確信するのです。
この言葉に聞き覚えはないでしょうか。
ルカの福音書によれば、
『ほかにもふたりの犯罪人が、イエスとともに死刑にされるために、引かれて行った。
「どくろ」と呼ばれている所に来ると、そこで彼らは、イエスと犯罪人とを十字架につけた。犯罪人のひとりは右に、ひとりは左に。
そのとき、イエスはこう言われた。
「父よ。彼らをお赦し下さい。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです。」 彼らは、くじを引いて、イエスの着物を分けた。
民衆はそばに立ってながめていた。
(ルカの福音書23:32~23:35前半)』と書かれています。
しかも、主イエス様のこの言葉は、同じくルカだけが書き記しています。
つまり「民衆はそばに立ってながめていた。」と書かれた民衆の中に、ステパノが存在した可能性は、ほぼ間違いないのではないでしょうか。
自分を十字架にかけたローマ兵たちを、呪い、罵るのではなく、彼らの為に主イエス様は、「取りなしの祈り」をしておられるのです。
この言葉と光景をステパノは、間近に耳にし、そして目にしたのです。
そうでなければ、どうして自分に対して、こぶし大の石を力任せに投げつけている者たちの為に、「取りなしの祈り」をすることが出来るのでしょうか。
自分の体中の骨が、砕かれて行く時に。
もちろんステパノの内には、聖霊様がおられました。しかし、魂が救われていなければ、このような言葉は出てくるはずもありません。
「主よ。この罪を彼らに負わせないで下さい。」
「父よ。彼らをお赦し下さい。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです。」
み言葉なのです。主イエス様が語られた「神の言葉」こそが、人を変えることが出来るのです。
聖書は、一言一句誤り無き、まことの神様の言葉なのです。》