◇◆◇日々のみ言葉
2019年2月12日(火)
◎聖書箇所【使徒の働き7章59節~60節】
7:59 こうして彼らがステパノに石を投げつけていると、ステパノは主を呼んで、こう言った。「主イエスよ。私の霊をお受け下さい。」
7:60 そして、ひざまずいて、大声でこう叫んだ。「主よ。この罪を彼らに負わせないで下さい。」こう言って、眠りについた。
◎ショートメッセージ
《ステパノの最後の場面から、再度考えて見たいと思います。
ユダヤ最高議会における宗教裁判。
かつて主イエス様も、その場において裁かれました。その罪は「神への冒涜罪」。
そして、それに値する刑は死罪。
聖霊に満たされていたステパノは、天を見つめ、神の栄光と、神の右に立っておられる主イエス様とを見て、こう叫びました。
「見なさい。天が開けて、人の子が神の右に立っておられるのが見えます。」
この言葉が決め手でした。この言葉こそが、ユダヤの指導者たちの罪を立証したのです。
議員たちは大声で叫びながら、耳をおおい、いっせいにステパノに殺到しました。そして、主イエス様にしたように、ステパノを殴り、つばを吐きかけ、エルサレム市外にある石打場に引き連れて行ったのです。
その時、開かれた天は、ステパノと共に移動し、主イエス様はついて行かれました。
石が投げられ始め、ステパノのすべての骨を打ち砕いて行きました。しかし、ステパノの目は、天を見つめ、主イエス様を呼んでこう言ったのです。
「主イエスよ。私の霊をお受け下さい。」
そして崩れ落ち、ひざまずいて、持てる最後の力を振り絞り大声で叫びました。
「主よ。この罪を彼らに負わせないで下さい。」
ついにステパノは動かなくなりました。ルカは「眠りについた」と書き記していますが、彼は死んだのです。
これは私の推測ですが、天からイエス様がステパノの所に降りて来られたと思っています。そしてステパノの心臓が鼓動を止めた時、主イエス様は、彼の両手をつかみ、ステパノの霊を天に引き上げられたと私は思うのです。
最初の殉教者ステパノは、こうして召されて行きました。その生涯が何年であったのかは、ルカは明らかにしていません。
ステパノの「死」は何を意味するのでしょうか。無駄死とも思えるような、気がするくらいです。
しかし、宗教裁判、そして石打の刑においても、ひとりの青年が、その場に居合わせたのです。
それが、後にパウロとなるサウロです。
議員たちは、自分たちの上着を彼の足もとに置きました。これは何を意味するのでしょうか。
サウロに「刑を見届けよ」と言うことであり、また彼が青年でありながら、高い地位を持つ人物であった証拠ではないでしょうか。
ステパノは、ユダヤの指導者たちの悔い改めを促す為に、そしてパウロと言う偉大な使徒の誕生の為に、その役目を全うして、主イエス様の御元に帰って行ったのです。
人には、主によって与えられた「使命」があるのです。
長い時間をかけて、ステパノのメッセージから学んで来ましたが、明日からは第8章に入りましょう。》