◇◆◇日々のみ言葉
2019年3月3日(日)
◎聖書箇所【使徒の働き8章27節~28節】
8:27 そこで、彼は立って出かけた。すると、そこに、エチオピヤ人の女王カンダケの高官で、女王の財産全部を管理していた宦官のエチオピヤ人がいた。彼は礼拝のためエルサレムに上り、
8:28 いま帰る途中であった。彼は馬車に乗って、預言者イザヤの書を読んでいた。
◎ショートメッセージ
《ペテロヨハネは、サマリヤの人々に「聖霊のバプテスマ」を授け、主イエス・キリストのことを証し、また主イエス様が、かつて語られたみ言葉を教えた後、エルサレムに帰って行きました。
そこへ、御使いがピリポに現われたのです。
「立って南へ行き、エルサレムからガザに下る道に出なさい。」
当時、ガザは二つあったのです。シリヤの総督が、地中海沿岸近くに新しいガザの町を移設したからです。よって以前は栄えていた旧ガザは、今は荒れ果てている町となっています。
御使いは、新しいガザではなく、荒れ果ててしまった旧ガザに行くように命じたのです。
このことも不思議に思えないでしょうか。
栄えている新しいガザではなく、荒れ果てている旧いガザに行けと言われているのですから。
人間的に考えますと、荒れ果て古びた町よりは、ギリシャ・ローマ文化で栄えている新ガザこそが、伝道にふさわしい場所ではないでしょうか。
しかし、神様の思いは違っていたのです。
ピリポが、神様の命令に従って、旧ガザの道に進んで行きますと、いかにも身分が高そうな人が、馬車に乗って後ろからやって来るではありませんか。
ピリポはエルサレムから下っています。この馬車も下っているわけです。
『そこに、エチオピヤ人の女王カンダケの高官で、女王の財産全部を管理していた宦官のエチオピヤ人がいた。彼は礼拝のためエルサレムに上り、いま帰る途中であった。』、
とルカは書き記していますが、この時点では、ピリポはまだそのことを知りません。
そして、『彼は馬車に乗って、預言者イザヤの書を読んでいた。』と言うことは、当時においては、極めて希なことなのです。
何と、このエチオピヤ人(後に分かることですが)は、当時のユダヤ人でも、簡単には手にすることが出来ない聖書を持っているからです。
なぜなら、当時の聖書は、すべて写本家による手書きであり、羊皮紙の巻物であったからです。今でも非常に高価であることは変わりません。(安く買えても百万円は下らないそうです。)
その巻物の聖書を手に持ち、声を出して読んでいたのです。これも当時の風習であって、声を出して読むことが普通であったからです。
現在では、スマホを見ながら自転車や車を運転すると言う、とんでもない不埒な者がいますが、もちろん彼自身が馬車を操っていたのではなく、忠実な従者がいたことは言うまでもないことです。
ピリポが、「イザヤ書」であることが分かったことは、彼はそのみ言葉を知っていたことを意味しています。
この出会いこそが、神様が用意されておられたことなのです。》