◇◆◇日々のみ言葉
2019年3月9日(土)
◎聖書箇所【使徒の働き8章36節~37節】
8:36 道を進んで行くうちに、水のある所に来たので、宦官は言った。「ご覧なさい。水があります。私がバプテスマを受けるのに、何かさしつかえがあるでしょうか。」
8:37 [本節欠如]
◎ショートメッセージ
《イザヤ書にはこう書かれていました。
『ほふり場に連れて行かれる羊のように、また黙々として毛を刈る者の前に立つ小羊のように、彼は口を開かなかった。彼は、卑しめられ、そのさばきも取り上げられた。彼の時代のことを、誰が話すことができようか。彼の命は地上から取り去られたのである。』
宦官はピリポに質問しました。
「預言者は誰について、こう言っているのですか。どうか教えて下さい。自分についてですか。それとも、誰か他の人についてですか。」
この質問から、彼は真剣に神様を求めていることが分かります。彼が「悲しみのメシア預言」とも言われているイザヤ書53章を読んでいたことも、決して偶然ではないからです。
実際に、旧約聖書における主イエス・キリストの十字架の預言は、ダビデによる詩篇と、このイザヤ書53章にしか書かれてはいないのです。
「十字架」こそが、救いのしるしであり、また神様の愛の現われなのです。
さて、ピリポは口を開き、この聖句から始めて、イエス様のことを彼に宣べ伝えました。
主イエス様が成された数々の奇跡について、そして「十字架」と「復活」、さらにオリーブ山での昇天まで、ピリポが使徒たちから教わった福音を伝えたのです。
すると宦官は言いました。
「ご覧なさい。水があります。私がバプテスマを受けるのに、何かさしつかえがあるでしょうか。」
このことから、ピリポが「バプテスマ」にもついて話したことが分かります。彼はサマリヤの人々にバプテスマを授けていたからです。
さて、聖書本文の8章37節は、[本節欠如]となっていますが、異本の写本には、次の節が組み込まれています。
『そこでピリポは言った。「もしあなたが心底から信じるならば、良いのです。
すると彼は答えて言った。「私はイエス・キリストが神の御子であることを信じます。」(使徒の働き8:37 異本文)』
人は心で信じ、口で告白して救われるのです。この時、この宦官は救われ、「永遠のいのち」をいただいたのです。
宦官はユダヤ教徒からクリスチャンになりました。》