◇◆◇日々のみ言葉
2019年3月8日(金)
◎聖書箇所【使徒の働き8章34節~35節】
8:34 宦官はピリポに向かって言った。「預言者は誰について、こう言っているのですか。どうか教えて下さい。自分についてですか。それとも、誰か他の人についてですか。」
8:35 ピリポは口を開き、この聖句から始めて、イエスのことを彼に宣べ伝えた。
◎ショートメッセージ
《ピリポは、御使いの言葉に従い、サマリヤを立ってガザに下る道を歩いて行きました。
すると、そこに、エチオピヤ人の女王カンダケの高官で、女王の財産全部を管理していた宦官のエチオピヤ人と出会ったのです。
彼は礼拝をする為にルサレムに上り、いま帰る途中であり、馬車に乗って巻物の「イザヤ書」を読んでいたのです。
彼が読んでいたイザヤ書には、こう書かれてありました。
「ほふり場に連れて行かれる羊のように、また、黙々として毛を刈る者の前に立つ小羊のように、彼は口を開かなかった。彼は、卑しめられ、そのさばきも取り上げられた。彼の時代のことを、誰が話すことができようか。彼のいのちは地上から取り去られたのである。」
これはイザヤ書53章のことです。
原文は、
『彼は痛めつけられた。彼は苦しんだが、口を開かない。ほふり場に引かれて行く小羊のように、毛を刈る者の前で黙っている雌羊のように、彼は口を開かない。
しいたげと、さばきによって、彼は取り去られた。彼の時代の者で、誰が思ったことだろう。彼が私の民のそむきの罪のために打たれ、生ける者の地から絶たれたことを。』
となっており、
多少内容が違っていますことは、使徒パウロの手元には旧約聖書が無かったことが分かります。
パウロはローマにおいて軟禁されており、ルカはその側にいます。そしてパウロの監修のもとに、「福音書」と続編「使徒の働き」を執筆しているのです。
しかし、それにしても、パウロがほぼ正確にイザヤ書を覚えていることには、やはり驚嘆します。主イエス様が選ばれた、まさしく神の器であることが分かります。
さて宦官は、ピリポに馬車に乗ることを願い、質問して来ました。
「預言者は誰について、こう言っているのですか。どうか教えて下さい。自分についてですか。それとも、誰か他の人についてですか。」
この質問からしますと、彼はまだ恐れの中にいることが分かります。彼は、確かに改宗してユダヤ教徒であったのですが、まだ主イエス・キリストを知らないのです。もちろん聖霊をも知りません。
よってピリポは、イザヤ書のその箇所から始め、イエス様の「十字架」と「復活」と「昇天」を証して、真の救い主なるお方に導いたのです。
このエチオピヤの高官の宦官が救われることは、主イエス様のみ心であり、また神様のご計画であったことが分かります。
このことは、私たちにも当てはまります。
彼は、日々本当に、真の神様を求め祈り続けていたのではないでしょうか。その祈りの応えとして、ピリポが遣わされたのです。
今、彼は「永遠のいのち」を受け継ごうとしています。》