◇◆◇日々のみ言葉
2019年3月10日(日)
◎聖書箇所【使徒の働き8章38節~39節】
8:38 そして馬車を止めさせ、ピリポも宦官も水の中へ降りて行き、ピリポは宦官にバプテスマを授けた。
8:39 水から上がって来たとき、主の霊がピリポを連れ去られたので、宦官はそれから後彼を見なかったが、喜びながら帰って行った。
◎ショートメッセージ
《宦官は言いました。
「ご覧なさい。水があります。私がバプテスマを受けるのに、何かさしつかえがあるでしょうか。」
そこでピリポは答えたのです。
「もしあなたが心底から信じるならば、良いのです。」
すると彼は答えて言った。
「私はイエス・キリストが神の御子であることを信じます。」
そして馬車を止めさせたことにより、従者が存在することは明白となります。
さて、「水」と言いましても、イスラエルには、きれいな水が少なく、よどんだ水たまりや池では、病気になってしまいます。
やはりオアシスのように、湧き水でなければならないのです。
もしかしたらヨルダン川かも知れません。あるいは、ちょうどそこにオアシスがあったのかも知れません。神様は、まさにグッドタイミングで、必要なものを用意して下さるお方なのです。
そしてピリポと宦官は、きれいな水の中に降りて行き、ピリポによって宦官はバプテスマを受けたのです。
まさしく主イエス様が言われた通りです。
『「全世界に出て行き、すべての造られた者に、福音を宣べ伝えなさい。信じてバプテスマを受ける者は、救われます。(マルコの福音書16:15~16:16抜粋)』
すると不思議なことをルカは書き記しています。
何と宦官が水から上がった時、つまりピリポによって全浸礼のバプテスマを受けた時、彼が起き上がったその瞬間に、ピリポがいなくなってしまったことです。
そしてその後、その宦官は喜びながらエチオピヤに帰って行ったと言うのです。
この短い文書から次のことが分かります。
「喜び」に満ちあふれたこととは、水のバプテスマを受けた時に、「聖霊のバプテスマ」を共に受けたと言うことです。
またその後、宦官がピリポを見なかったと言うことから、後にパウロもしくは他の使徒が、その宦官本人に会う機会が与えられ、その証しを直に聞いたことになります。
また「主の霊がピリポを連れ去られた」と言うことは、御使いによって起こったことであり、このこともパウロもしくは他の使徒が、ピリポから直にその話を聞いた可能性が非常に高いと言うことです。
エチオピヤの宦官は、後に使徒たちを、あるいはパウロを助けたのではないでしょうか。ルカがあえて名前を伏せたことも、その可能性は高いと思われるのです。》