• 2019年3月10日礼拝メッセージの概要

    ◇◆◇2019年3月10日第二主日礼拝
    ◎本日の聖書箇所【ヨハネの福音書17章21節~23節】 (新約p.198上段真中)
    17:21 「それは、父よ、あなたが私におられ、私があなたにいるように、彼らがみな一つとなるためです。また、彼らも私たちにおるようになるためです。そのことによって、あなたが私を遣わされたことを、世が信じるためなのです。
    17:22 また私は、あなたが私に下さった栄光を、彼らに与えました。それは、私たちが一つであるように、彼らも一つであるためです。
    17:23 私は彼らにおり、あなたは私におられます。それは、彼らが全うされて一つとなるためです。それは、あなたが私を遣わされたことと、あなたが私を愛されたように彼らをも愛されたこととを、この世が知るためです。」

    ◎メッセージの概要【あなたが私を愛されたように】
    《引き続き主イエス様の祈りについて学んで行きます。主と十一弟子たちは、まだヨハネ・マルコのに二階の大広間に留まっています。時刻はすでに午後九時を回っていたかと思われます。
     今日の箇所においてイエス様は、「一つとなる(ある)」と四回繰り返しています。
     それでは、主イエス様がここで言われる「一つとなる」こととは、一体どのようなことなのでしょうか。
     それは、新しい戒めによってなのです。イエス様は、十一弟子たちに「新しい戒め」をお与えになられました。
    「あなたがたに新しい戒めを与えましょう。あなたがたは互いに愛し合いなさい。私があなたがたを愛したように、そのように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。もしあなたがたの互いの間に愛があるなら、それによって、あなたがたが私の弟子であることを、すべての人が認めるのです。」
     イエス様は、愛による一致において一つとなりなさいと言われたのです。しかも互いの間に愛があるのなら、それによって、主の弟子であることを、すべての人が認める、と言われるのです。
     しかし、主イエス様のこの預言にもかかわらず、現在は多くの教派と教会に分かれ、しかも互いに裁き合ったりしています。
     今は終わりの時代です。今こそ、もう一度教会同士が手と手を取り合うべきなのです。聖霊によって一致して、大きなリバイバルに備えるべきなのです。
     さて、イエス様は「あなたが私を愛されたように」と言われましたが、これは具体的にはどのようなことなのでしょうか。実際には、父なる神様とイエス様の間のことであり、私たちには分かりません。
     聖書には、詳しく書かれていませんが、ルカは、イエス様がバル・ミツバを受ける前のことを書き記しました。
    「イエスはますます知恵が進み、背たけも大きくなり、神と人とに愛された。」と。
     また、イエス様が洗礼者ヨハネからバプテスマを受けられた時に、天から声が聞こえました。この声を洗礼者ヨハネと、その弟子ヨハネとアンデレは聞いています。
    「これは、私の愛する子、私はこれを喜ぶ。」
     父なる神様は、三回に渡って声を発せられます。しかも、それは弟子たちの為に行なわれたことなのです。
     主イエス様は、真に父なる神様から愛されたのです。
     そして「彼らをも愛されたこと」と言われました。これは父なる神様が、イエス様と同じように弟子たちをも愛されたことを言われていますが、何と過去形になっているのです。つまり先取りの祈りになっています。
     イザヤ書には、このように書かれています。
    『「恐れるな。私があなたを贖ったのだ。私はあなたの名を呼んだ。あなたは私のもの。私が、あなたの神、主、イスラエルの聖なる者、あなたの救い主であるからだ。私の目には、あなたは高価で尊い。私はあなたを愛している。だから私は人(イエス様)をあなたの代わりにし、国民をあなたのいのちの代わりにするのだ。恐れるな。私があなたと共にいるからだ。」』
     この言葉は、私たち一人一人に向けて語られた言葉でもあるのです。
     使徒ヨハネは、第Ⅰの手紙において、このように勧めています。
    『愛する者たち。私たちは、互いに愛し合いましょう。愛は神から出ているのです。愛のある者はみな神から生まれ、神を知っています。愛のない者に、神はわかりません。なぜなら神は愛だからです。
     神はそのひとり子を世に遣わし、その方によって私たちに、いのちを得させてくださいました。ここに、神の愛が私たちに示されたのです。私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。』
     私たちは、創造主父なる神様から愛されています。父なる神様がイエス様を愛されたように。神の御子イエス様を信じる者は、父なる神様からも愛されているのです。
     大切なことは、愛されなければ愛は分からないと言うことです。人間の世界には本物の愛はありません。唯一の本物の愛、それは神様の愛です。
     私たち一人一人が、満ち満ちた神様の愛に満たされ、もっと人々に対して愛を持って接するならば、まだ主を知らない人々は、イエス様こそがメシアであることを知るようになると、言われています。父なる神様に愛をもっと求めて良いのです。》

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