◇◆◇日々のみ言葉
2019年3月11日(月)
◎聖書箇所【使徒の働き8章40節】
8:40 それからピリポはアゾトに現われ、すべての町々を通って福音を宣べ伝え、カイザリヤに行った。
◎ショートメッセージ
《それから主の霊、すなわち主イエス様がピリポに遣わした御使いは、ピリポをアザトに運んだのです。
アザトとは、旧アシュドデのことです。新改訳聖書の一番の欠点は、旧約聖書と新約聖書において同じ都市や町であるのにも関わらず、違う名前を用いて訳していることなのです。よって読者は、それぞれが別な都市や町であると認識し誤解が生じるのです。
尾山令仁先生は、そのことを強調され、現代訳聖書では統一されています。(どのようなことかと言いますと、その町の正式名と俗名があることです。たとえば「ダビデの町」とは、「ベツレヘム」のことであり、同じ町を指しているようにです。)
アシュドデとは、かつてのペリシテ人の五大都市の一つでり、ピリポは行きたくない場所であったかと思われます。だからこそ、御使いによって運ばれたのです。
このように、主イエス様は、私たちを時々、行きたくない場所に送られることがあるようです。しかも強制的にです。
しかし、そこにも神様のご計画があるのです。
さてアザト、すなわちアシュドデとはどんな町かと言いますと、
『ペリシテ人は神の箱を奪って、それをエベン・エゼルからアシュドデに運んだ。それからペリシテ人は神の箱を取って、それをダゴンの宮に運び、ダゴンのかたわらに安置した。
アシュドデの人たちが、翌日、朝早く起きて見ると、ダゴンは主の箱の前に、地にうつぶせになって倒れていた。そこで彼らはダゴンを取り、それをもとの所に戻した。
次の日、朝早く彼らが起きて見ると、やはり、ダゴンは主の箱の前に、地にうつぶせになって倒れていた。ダゴンの頭と両腕は切り離されて敷居のところにあり、ダゴンの胴体だけが、そこに残っていた。それで、ダゴンの祭司たちや、ダゴンの宮に行く者はだれでも、今日に至るまで、アシュドデにあるダゴンの敷居を踏まない。
さらに主の手はアシュドデの人たちの上に重くのしかかり、アシュドデとその地域の人々とを腫物で打って脅かした。
アシュドデの人々は、この有様を見て言った。「イスラエルの神の箱を、私たちのもとにとどめておいてはならない。その神の手が私たちと、私たちの神ダゴンを、ひどいめに会わせるから。」
それで彼らは人をやり、ペリシテ人の領主を全部そこに集め、「イスラエルの神の箱をどうしたらよいでしょうか。」と尋ねた。彼らは、「イスラエルの神の箱をガテに移したらよかろう。」と答えた。そこで彼らはイスラエルの神の箱を移した。
それがガテに移されて後、主の手はこの町に下り、非常な大恐慌を引き起こし、この町の人々を、上の者も下の者もみな打ったので、彼らに腫物ができた。
そこで、彼らは神の箱をエクロンに送った。神の箱がエクロンに着いたとき、エクロンの人たちは大声で叫んで言った。「私たちのところにイスラエルの神の箱を回して、私たちと、この民を殺すのか。」
そこで彼らは人をやり、ペリシテ人の領主を全部集めて、「イスラエルの神の箱を送って、もとの所に戻っていただきましょう。私たちと、この民とを殺すことがないように。」と言った。町中に死の恐慌があったからである。神の手は、そこに非常に重くのしかかっていた。死ななかった者も腫物で打たれ、町の叫び声は天にまで上った。(第Ⅰサムエル記5:1~5:12)』と言ういわく付きの町なのです。
ピリポは、最初に「アザト(アシュドデ)」から、「ガテ」そして「エクロン」と、ペリシテ人の町を通り、伝道しながらヘロデ王が建設したカイザリヤに向かったのです。
ルカは、その旅路の様子を詳しく書き記してはいませんが、多くのペリシテ人の子孫が救われたと、私は信じています。
もしそうでなければ、御使いがピリポを「アザト」に連れて行くことなど、しなかったに違いないからです。
主イエス様は、ユダヤ人だけでなくペリシテ人たちに取っても主なるお方なのです。
明日から使徒の働きも第9章に入ります。最大のクライマックスである「サウロの改心」、すなわち「使徒パウロの誕生」を学びます。》