• 2019年7月7日礼拝メッセージの概要

    ◇◆◇2019年7月7日第一主日礼拝
    ◎本日の聖書箇所【ヨハネの福音書18章11節~14節】 (新約p.199上段左側)
    18:11 そこで、イエスはペテロに言われた。「剣をさやに収めなさい。父が私に下さった杯を、どうして飲まずにいられよう。」
    18:12 そこで、一隊の兵士と千人隊長、それにユダヤ人から送られた役人たちは、イエスを捕えて縛り、
    18:13 まずアンナスのところに連れて行った。彼がその年の大祭司カヤパのしゅうとだったからである。
    18:14 カヤパは、ひとりの人が民に代わって死ぬことが得策である、とユダヤ人に助言した人である。

    ◎メッセージの概要【大祭司のもとへ】
    《ヨハネの福音書の学びもいよいよ十字架へと進んで行きます。時刻は真夜中です。すでに聖金曜日です。その日の午前9時には十字架にかかられます。そして午後3時には、息を引き取られます。あと残された時間は、多く見積もっても13・4時間ではないでしょうか。
     大祭司の耳を切としたのはペテロでした。イエス様はマルコスの右耳をいやされ、弟子たちは皆、その場から逃げ去って行ったのです。伝承では、一千人の人々がゲッセネマに押しかけたと言われています。
     彼らはイエス様を捕らえると縛り上げ、エルサレム市内に戻り、まず大祭司アンナスの所に引き連れて行きました。
     なぜ議会ではないのでしょうか。またなぜローマ総督ポンテオ・ピラトの所ではないのでしょうか。実はこのことも、神様の深い摂理の中に行なわれたことであって、父なる神様のご計画であったのです。
     さて、まず「大祭司」の職務について考えて見ましょう。一番最初に大祭司となったのは、モーゼの兄アロンでした。
     レビ記によりますと、『大祭司は、イスラエル人の汚れと、そのそむき、すなわちそのすべての罪の為に、聖所の贖いをする。彼は自分と、自分の家族、それにイスラエルの全集会の為に贖いをする。』と書かれています。そしてその為に必要なのが、「いけにえの血」なのです。特に「過越の祭」の時には、一歳の傷のない雄の小羊の血が流されるのです。血が流されなければ罪の赦しはあり得ないのです。
     さて、この場面に二人の大祭司の名前が挙げられています。
     まずアンナスですが、このアンナスは、紀元6年、人口調査を行なったシリアの総督クレニオによって大祭司に任命され、紀元15年までその地位にいました。ローマ帝国は彼を退位させ、別の人物を任命しましたが、ユダヤでは、大祭司職は終生のものであり、また世襲制でした。
     よって、その3年後の紀元18年、婿カヤパが大祭司になりました。カヤパは36年シリヤ総督ヴィテリウスによって解任されるまでその職にあったのです。アンナスは、大祭司退位後も非常に大きな影響力を持っていたのです。
     よって、バプテスマのヨハネが出現した時も、また主イエス様の公生涯の時も、ユダヤの事実上の支配者は、大祭司アンナスであったのです。ルカはこのように書き記しています。
    『アンナスとカヤパが大祭司であった頃、神の言葉が、荒野でザカリヤの子ヨハネに下った。』
     よって、バプテスマのヨハネが悔い改めのバプテスマを授け始めたのは、紀元18年以降となります。この時、ヨハネは25歳くらいであり、主イエス様は24歳くらいであったはずです。ヨハネが何時その働きを開始したのか正確な年は分かりませんが、エルサレムだけでなく、イスラエルの多くのユダヤ人が彼から洗礼を授かるには、かなりの年月が必要であったはずです。少なくとも3年は。
     またカヤパは、「ひとりの人が民に代わって死ぬことが得策である。」と議会において、発言しました。
    「あなたがたは全然何もわかっていない。ひとりの人が民の代わりに死んで、国民全体が滅びないほうが、あなたがたにとって得策だということも、考えに入れていない。」
     ヨハネは、「ところで、このことは彼が自分から言ったのではなくて、その年の大祭司であったので、イエスが国民のために死のうとしておられること、また、ただ国民のためだけでなく、散らされている神の子たちを一つに集めるためにも死のうとしておられることを、預言したのである」と解釈を付け加えています。ここからも、アンナスとカヤパは、神様によって、大祭司に任命されたことが分かります。
     さて、イエス様は、まず大祭司アンナスの所に連れて行かれました。当時の事実上のユダヤの最高指導者の所にです。おそらくアンナスの屋敷とカヤパの屋敷は、つながっていたと考えられています。
     ここで、神様が定められた大祭司アンナスと婿カヤパ、永遠の大祭司であられるイエス様とが、対峙することになります。これは何を意味しているのでしょうか。
     それは、律法の終わりを意味し、大祭司職がアンナスとカヤパから、永遠の大祭司であられる主イエス様へと移ることになるしるしなのです。
     ヘブル人の手紙の著者は、大祭司イエス様のなされた御わざについて説明しています。
     『また、彼らの場合は、死ということがあるため、務めにいつまでもとどまることができず、大ぜいの者が祭司となりました。
    しかし、キリストは永遠に存在されるのであって、変わることのない祭司の務めを持っておられます。したがって、ご自分によって神に近づく人々を、完全に救うことがおできになります。キリストはいつも生きていて、彼らのために、とりなしをしておられるからです。
     また、このようにきよく、悪も汚れもなく、罪人から離れ、また、天よりも高くされた大祭司こそ、私たちにとってまさに必要な方です。ほかの大祭司たちとは違い、キリストには、まず自分の罪のために、その次に、民の罪のために毎日いけにえをささげる必要はありません。というのは、キリストは自分自身をささげ、ただ一度でこのことを成し遂げられたからです。律法は弱さを持つ人間を大祭司に立てますが、律法のあとから来た誓いのみ言葉は、永遠に全うされた御子を立てるのです。』
    『しかしキリストは、すでに成就したすばらしい事がらの大祭司として来られ、手で造った物でない、言い替えれば、この造られた物とは違った、さらに偉大な、さらに完全な幕屋を通り、また、やぎと子牛との血によってではなく、ご自分の血によって、ただ一度、まことの聖所にはいり、永遠の贖いを成し遂げられたのです。
     もし、やぎと雄牛の血、また雌牛の灰を汚れた人々に注ぎかけると、それが聖めの働きをして肉体をきよいものにするとすれば、まして、キリストが傷のないご自身を、とこしえの御霊によって神におささげになったその血は、どんなにか私たちの良心をきよめて死んだ行ないから離れさせ、生ける神に仕える者とすることでしょう。』
     神の御子、そして神の小羊なる主イエス様は、身代わりとして、ユダヤ人の人々、全世界に住む人々の為に、十字架にかかられるのです。もちろん前の大祭司アンナスの為に、そして婿である現大祭司カヤパの為にも死んで行かれるのです。と言うことは、彼らにも、悔い改めと、主イエス様を信じて救われる機会が与えられたと言うことになるのです。》

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