• 日々のみ言葉 2019年7月8日(月)

    ◇◆◇日々のみ言葉

    2019年7月8日(月)

    ◎聖書箇所【使徒の働き13章14節】
    13:14 しかし彼らは、ペルガから進んでピシデヤのアンテオケに行き、安息日に会堂にはいって席に着いた。

    ◎ショートメッセージ
    《キプロス島の伝道は大成功でした。主イエス様は異邦人伝道の幕開けとして、まず最初に慰めの子と呼ばれたバルナバの故郷であるキプロス島に目を向けられました。
     バルナバとパウロはサラミスから始めて、島全体を巡り歩き、多くのユダヤ人を主イエス様に導き、最大の収穫は、ローマ総督セルギオ・パウロが信仰を持ったことです。
     パウロの一行は、役目を終えパポスから船出して、パンフリヤのペルガに渡ったのです。この時、バルナバの従兄弟であったヨハネ・マルコは一行から離れて、エルサレムに帰ってしまったのです。
     ヨハネ・マルコは、まだ青年であり、ホームシックにかかってしまったことも無理ならぬことです。
     バルナバとパウロは、ペルガから進んでピシデヤのアンテオケにやって来たのです。

     アンテオケとは、紀元前301年にセレウコス王朝の創始者セレウコス1世ニカトルが建設したいくつかの町で、父アンティオコスを記念してアンテオケと命名されました。
     バルナバとサウロを遣わしたアンテオケ教会は、シリアの首都のアンテオケにあって、アンテオケの中でも最も大きな都市であったのです。
     そのシリアのアンテオケと区別する為に、ピシデヤのアンテオケと呼ばれていたのです。

     さて、ピシデヤのアンテオケは、ピシデヤの国境に近いフルギヤ領にある小アジヤの都市で、エペソとキリキヤの間の主要交易路にあって、ヘレニズムの中心でありました。
     この町を建設したセレウコス1世ニカトルは、ユダヤ植民者を政治的商業的理由のために連れてきたのです。
     やがてローマ初代皇帝アウグストゥスはアンテオケをローマの植民地としました。よって、自由にユダヤ人やローマ人は行き来できるというわけです。

     よくよく考えて見ますと、ローマ帝国が初代キリスト教会発展の為に尽くした役割は非常に大きなものが有ります。
     その一つは、道です。ローマの戦車が走り抜けてもびくともしない堅固な舗装がなされていました。まさに「すべての道はローマに通ず」るのです。
     そしてもう一つは、ローマ帝国内ならば、その植民地に属する者は、誰でも自由に行き来し、また商売することが出来たことです。
     ピシデヤのアンテオケは、現在は廃墟となっており、トルコのヤルバッチュの近くにあります。

     パウロとバルナバの伝道方法は、まず安息日において、ユダヤ人の会堂シナゴークに集まっているユダヤ人の子孫たちに福音を伝えることでした。

     この時も、二人は会堂の中にはいって行きました。二人の服装は、ラビの姿であり、特にパウロは、律法学者の中で最も尊敬されていた「パリサイ派」であることが一目瞭然と分かる格好をしていたに違いありません。
     なぜなら、ユダヤの会堂は誰でも自由に入れるのではないからです。会堂管理人たちの厳しい目が、入ろうとする人々を選別していたからです。

     ユダヤ人であっても、取税人や羊飼いや病の者、そしてバル・ミツバに合格していない者は、入ることが許されなかったのです。もちろん異邦人などは、論外です。》

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