• 日々のみ言葉 2019年7月21日(日)

    ◇◆◇日々のみ言葉

    2019年7月21日(日)

    ◎聖書箇所【使徒の働き13章42節~43節】
    13:42 ふたりが会堂を出るとき、人々は、次の安息日にも同じことについて話してくれるように頼んだ。
    13:43 会堂の集会が終わってからも、多くのユダヤ人と神を敬う改宗者たちが、パウロとバルナバについて来たので、ふたりは彼らと話し合って、いつまでも神の恵みにとどまっているように勧めた。

    ◎ショートメッセージ
    《ここで使徒パウロは、メッセージをやめました。
     本来ならば、この後、悔い改めと信仰告白に導くべき時なのですが、あえて語ることをやめたのです。

     ところでこの長いメッセージを、どうしてパウロは詳細にわたって覚えていたのでしょうか。
    「使徒の働き」が、愛弟子ルカによって書かれたのは、パウロがローマの獄中で軟禁されていた時であって、紀元60年~62年頃になります。そしてバルナバとパウロの第一回伝道旅行は、紀元48年~49年頃であると推測されます。
     その12・3年後に鮮明かつ詳細にわたって覚えていますことは、やはり聖霊の働きと導きによるものと言えます。
     もちろん主イエス様は、当時最大かつ最高に教育されたユダヤ教徒のエリートを用いられたことは言うまでもありません。

     ダマスコにおいて、イエス様はアナニヤにこう告げ知らせたのです。
    『「行きなさい。あの人は私の名を、異邦人、王たち、イスラエルの子孫の前に運ぶ、私の選びの器です。彼が私の名の為に、どんなに苦しまなければならないかを、私は彼に示すつもりです。」(使徒の働き9:15~9:16抜粋)』

     パウロは、その博学のゆえ、また使徒として与えられた聖霊による力と権威のゆえに、イエス様から一つの「とげ」を与えられることになるのです。

     第Ⅱコリントの手紙によりますと、
    『たとい私が誇りたいと思ったとしても、愚か者にはなりません。真実のことを話すのだからです。しかし、誇ることは控えましょう。私について見ること、私から聞くこと以上に、人が私を過大に評価するといけないからです。
     また、その啓示があまりにもすばらしいからです。そのために私は、高ぶることのないようにと、肉体に一つのとげを与えられました。それは私が高ぶることのないように、私を打つための、サタンの使いです。このことについては、これを私から去らせて下さるようにと、三度も主に願いました。
    しかし、主は、「私の恵みは、あなたに十分である。というのは、私の力は、弱さのうちに完全に現われるからである。」と言われたのです。ですから、私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで私の弱さを誇りましょう。(第Ⅱコリント人への手紙12:6~12:9)』

     これは、ユダヤ人たちによって「石打の刑」を受けた時のことです。伝承では、目の病気もしくは目の故障と言われていますが、確かなことは分かりません。
     しかし、ピシデヤのアンテオケの伝道に来た時には、まだその「とげ」は与えられていなかったことは確実です。

     さて、会堂に集まっていたユダヤ人たちは、一週間後の安息日においても、同じ話をして欲しいと願い出ました。
     しかし、まことに飢え乾いていた同胞のユダヤ人と、異邦人の改宗者たちは、パウロとバルナバの後をついて行ったと言うのです。
     パウロとバルナバは、イエス様のことを宣べ伝え、救われた彼らに、いつまでも神様の恵みにとどまっているように勧めたのです。》

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