◇◆◇日々のみ言葉
2019年7月22日(月)
◎聖書箇所【使徒の働き13章44節~45節】
13:44 「次の安息日には、ほとんど町中の人が、神の言葉を聞きに集まって来た。
13:45 しかし、この群衆を見たユダヤ人たちは、ねたみに燃え、パウロの話に反対して、口ぎたなくののしった。」
◎ショートメッセージ
《パウロとバルナバは、ある安息日の日に、ピシデヤのアンテオケにあるユダヤ人の会堂の礼拝に出席しました。
巻物の聖書が読まれ、会堂管理人たちは、最前列に座っている二人に目を留め、集まっている同胞のユダヤ人に、何か勧めの言葉を語ることを願って来たのです。
するとパウロは、立ち上がり手を振って、主イエス様のことを語りました。パウロがメッセージを語り終えて、ふたりが会堂を出るとき、集まっていた人々は、次の安息日にも同じことを話してくれるように頼んだのです。
会堂の集会が終わって、解散してからも、多くのユダヤ人と神様を敬う改宗者たちが、パウロとバルナバのあとをついて来たので、ふたりは彼らと話し合い、いつまでも神様の恵みにとどまっているように勧めた、と言うのです。
そしてその一週間のことです。
ルカは省略していますが、この一週間の間に、何もなかったわけではありません。大勢のユダヤ人や改宗者たちが、パウロとバルナバの所にやって来て、さらなる主イエス様の恵みと御わざについて、話を聞きに来たに違いありません。
なぜなら、彼らの魂が飢え渇いているからです。魂の飢え渇きを満たして下さるお方は、イエス様しかおられないのです。
そして一週間がアッという間に過ぎ、また新しい安息日がやって来ました。何と町中の人々が聞きにやって来た、と言うのです。
「この群衆を見たユダヤ人たち」とは、パウロの話を聞いて心動かされた人たちではなく、おそらくパリサイ人や律法学者ではないかと思われます。
なぜなら「ねたみ」に燃えたからです。
主イエス様が十字架にかけられた理由もそうではありませんか。
マタイの福音書によりますと、
『ところで総督は、その祭りには、群衆のために、いつも望みの囚人をひとりだけ赦免してやっていた。その頃、バラバという名の知れた囚人が捕えられていた。
それで、彼らが集まったとき、ピラトが言った。
「あなたがたは、だれを釈放してほしいのか。バラバか、それともキリストと呼ばれているイエスか。」
ピラトは、彼らがねたみからイエスを引き渡したことに気づいていたのである(マタイの福音書27:15~27:18)』と書かれています。
人は「ねたむ」ものなのです。
それは原罪から来るものです。パリサイ人や律法学者たちは、聖書に通じていたにもかかわらず、まことの救い主であられるイエス様を信じ受け入れることは出来ませんでした。
なぜなら「知識は人を高ぶらす」からです。
この時にも、彼らは、ねたみに燃え、バルナバとパウロの話に反対して、口ぎたなくののしったのです。
敵である悪魔、悪霊は、ののしるのです。》