◇◆◇日々のみ言葉
2019年7月28日(日)
◎聖書箇所【使徒の働き14章1節】
14:1 イコニオムでも、ふたりは連れ立ってユダヤ人の会堂にはいり、話をすると、ユダヤ人もギリシヤ人も大ぜいの人が信仰にはいった。
◎ショートメッセージ
《今日から「使徒の働き」の学びも、14章に入って行きます。
ピシデヤのアンテオケにおいて、思わぬ迫害を受けたパウロとバルナバの二人は、イコニオムにやって来ました。
この町は、アンテオケから南東144キロ離れた所にあります。小アジヤ南部の高地の平原にあった町で、今日では「コニヤ」と呼ばれており、周辺地域は肥沃で古くから栄えて、今日に至っています。
歴史的には、紀元前3世紀以後、シリヤのアンテオケを本拠地としたセレウコス王朝に支配されましたが、紀元前63年にローマ皇帝ポンペイウスが、ガラテヤ地方を制圧し、ピシデヤとルカオニヤを併合させ、ローマの属州となりました。
この時代のローマ人の理解によると、イコニオムは、ガラテヤ南部の町ということになるそうです。
パウロは第一回伝道旅行において、バルナバと共にこの地に足を踏み入れましたが、その後も何度も訪問して伝道に励みました。
そのため、かなりの回心者が与えられました。しかし、ユダヤ人による迫害も、激しいものでした。
この迫害の経験をパウロは生涯、記憶にとどめています。
テモテの手紙によりますと、
『またアンテオケ、イコニオム、ルステラで私にふりかかった迫害や苦難にも、よくついて来てくれました。何というひどい迫害に私は耐えて来たことでしょう。しかし、主はいっさいのことから私を救い出して下さいました。(第Ⅱテモテの手紙3:11)』と書き記しています。
パウロが書いた「ガラテヤ人への手紙」は、この地域を含む南ガラテヤの諸教会に宛てたものであると考えられています。
さて、ここイコニオムにおいても、パウロとバルナバのふたりは、安息日にユダヤ人の会堂に入って主イエス様のことについて語りました。するとユダヤ人もギリシヤ人も大ぜいの人が信仰にはいった、と言うのです。
ここに書かれている「ギリシャ人」とは、改宗者のことです。ユダヤ教の唯一の創造主なる神様を信じ受け入れているギリシャ人が、これほどまでに多くいることは、驚異としか言いようがありません。
本来ならば、ギリシャ人とローマ人は、ギリシャ神話を信じているはずです。大神ゼウスをあがめているはずなのですが、植民地の国民が信じている神様を信じ、受け入れ、しかも割礼まで受けて、ユダヤ教に改心するとは、どう考えてもいささか尋常であるはずはありません。
私は、ギリシャ人とローマ人たちは、ユダヤ人のその信仰態度を見たり、また神様の恵みを直にいただき、真の神様がおられることを知ったのではないかと、考えています。
そして、主イエス様の福音を聞き、多くの人々が聖霊様の導きによって、イエス様を信じ受け入れたのではないでしょうか。》