• 2019年7月28日礼拝メッセージの概要

    ◇◆◇2019年7月28日第四主日礼拝
    ◎本日の聖書箇所【ヨハネの福音書18章28節~32節】 (新約p.200上段真中)
    18:28 さて、彼らはイエスを、カヤパのところから総督官邸に連れて行った。時は明け方であった。彼らは、過越の食事が食べられなくなることのないように、汚れを受けまいとして、官邸にはいらなかった。
    18:29 そこで、ピラトは彼らのところに出て来て言った。「あなたがたは、この人に対して何を告発するのですか。」
    18:30 彼らはピラトに答えた。「もしこの人が悪いことをしていなかったら、私たちはこの人をあなたに引き渡しはしなかったでしょう。」
    18:31 そこでピラトは彼らに言った。「あなたがたがこの人を引き取り、自分たちの律法に従ってさばきなさい。」ユダヤ人たちは彼に言った。「私たちには、だれを死刑にすることも許されてはいません。」
    18:32 これは、ご自分がどのような死に方をされるのかを示して話されたイエスの言葉が成就するためであった。

    ◎メッセージの概要【異邦人に引き渡された主イエス】
    《ヨハネの福音書の学びも、いよいよ主イエス様の十字架に向かって進んで行きます。ヨハネは、大祭司の知り合いとして、主イエス様が立たされた、前大祭司アンナスにおける第一回宗教裁判、そして現大祭司カヤパにおける第二回宗教裁判の席に列席しました。
     まさか、この時から五・六十数日後に、主イエス様を三回否定したシモン・ペテロと共に、ユダヤ最高議会に自分が立つことになろうとは、夢にも思わなかったに違いありません。それだからこそ、私たちには先が見えないのです。先が見えないから不安を覚えるのです。しかし主イエス様は、はっきりと約束されています。「信じない者ではなく信じる者となりなさい。」と。そして「見よ。私は、世の終わりまで、いつも、あなたがたと共にいます。」
     さて、マタイとマルコは、第三回宗教裁判を、省略して書き記しています。マタイによりますと、『夜が明けると、祭司長、民の長老たち全員は、イエスを死刑にするために協議した。それから、イエスを縛って連れ出し、総督ピラトに引き渡した。』と、だけです。
     しかし後にルカは、その詳細を書き記します。彼はこの場にはおりません。ペテロはすでに外に出て行ってしまい、ヨハネは最高議会には出席を許可されなかった可能性があります。 それではなぜルカだけが、詳しい内容を書くことが出来たのでしょうか。その可能性がある答えはただ一つです。集まった議員の中にサウロがいたのです。
     ルカによりますと、
    『夜が明けると、民の長老会、それに祭司長、律法学者たちが、集まった。彼らはイエスを議会に連れ出し、こう言った。
    「あなたがキリストなら、そうだと言いなさい。」
    しかしイエスは言われた。
    「私が言っても、あなたがたは決して信じないでしょうし、私が尋ねても、あなたがたは決して答えないでしょう。しかし今から後、人の子は、神の大能の右の座に着きます。」
     彼らはみなで言った。
    「ではあなたは神の子ですか。」
     すると、イエスは彼らに
    「あなたがたの言うとおり、私はそれです。」と言われた。すると彼らは、「これでもまだ証人が必要でしょうか。私たち自身が彼の口から直接それを聞いたのだから。」と言った。』となっています。主イエス様は、大祭司カヤパに答えられたことを、議会においても同じように宣言されたのです。すなわち、「エゴー・エイミ。」と。
     時を同じくして、この最高議会での判決後の、十二使徒の一人、イスカリオテのユダが取った行動が、マタイの福音書には書かれています。なぜこのことをマタイが知っていたのかは分かりかねますが、マタイによりますと、
    『そのとき、イエスを売ったユダは、イエスが罪に定められたのを知って後悔し、銀貨三十枚を、祭司長、長老たちに返して、
     「私は罪を犯した。罪のない人の血を売ったりして。」と言った。しかし、彼らは、
     「私たちの知ったことか。自分で始末することだ。」と言った。
     それで、彼は銀貨を神殿に投げ込んで立ち去った。そして、外に出て行って、首をつった。祭司長たちは銀貨を取って、
    「これを神殿の金庫に入れるのはよくない。血の代価だから。」と言った。
     彼らは相談して、その金で陶器師の畑を買い、旅人たちの墓地にした。それで、その畑は、今でも血の畑と呼ばれている。そのとき、預言者エレミヤを通して言われた事が成就した。「彼らは銀貨三十枚を取った。イスラエルの人々に値積もりされた人の値段である。彼らは、主が私にお命じになったように、その金を払って陶器師の畑を買った。」』と書いています。 私は、一つの推測が思い浮かびます。それは、十二使徒は二人一組で動いていましたから、もしかしたらマタイはイスカリオテのユダと組んでいたのではないでしょうか。
     また、旧約聖書に預言されたから、あるいはイエス様が、「滅びの子だけが滅びました。」と預言されたから、イスカリオテのユダは、死んで行ったのではありません。
     何度も何度も救いの手を差し伸べた主イエス様の、その愛と哀れみの手を自ら払いのけたからこそ、ユダは滅びて行ったのです。最初から定められていた運命ではありません。ユダの意思なのです。
     人は、救い主であられる主イエス様の十字架と、その愛と哀れみと恵みを、自らの意思で拒んで、自らの罪の為に滅んで行くのです。無償の救いの手が差し伸べられているのに。
     さて、ポンテオ・ピラトに、祭司長たちは、「私たちには、だれを死刑にすることも許されてはいません。」と言いましたが、これは真っ赤な嘘・偽りであって、彼らは自分たちの手を汚さずに、主イエス様を死刑にしたかったのです。その証拠に、最高議会は、ステパノを石打の刑に処します。使徒の働きによりますと、
    『人々は大声で叫びながら、耳をおおい、いっせいにステパノに殺到した。そして彼を町の外に追い出して、石で打ち殺した。』となっています。
     しかし、殉教者が出ることは、かえって信仰者の信仰を鼓舞することにつながるのです。もし主イエス様を石打の刑に処すれば、イエス様の御名を信じる者たちの信仰が、さらに強まり、また広まってしまう危険性があったのです。よって彼らが考えた最高最良の方法が、異邦人ローマ人によって、「国家反逆罪」として十字架刑によって処刑されることなのです。
     主イエス様は、弟子たちに3度にもおよぶ「受難予告」を預言していました。特に3回目の預言では、
    「さあ、これから、私たちはエルサレムに向かって行きます。人の子は、祭司長、律法学者たちに引き渡されるのです。彼らは人の子を死刑に定めます。そして、あざけり、むち打ち、十字架につけるため、異邦人に引き渡します。しかし、人の子は三日目によみがえります。」と、明確かつ詳細にわたって預言されており、そのように事態が進んだことを、今の私たちは、すでに事実として知っています。
     主イエス様は、このようにして十字架にかけられます。この十字架があるからこそ、私たちは罪赦され、永遠のいのちをいただけたのです。私たちは、永遠のいのちをすでに持っています。それだからこそ、私たちが誇るものは、主イエス様の「十字架」だけなのです。
     使徒パウロはこう宣言しています。
    『私には、私たちの主イエス・キリストの十字架以外に誇りとするものが決してあってはなりません。この十字架によって、世界は私に対して十字架につけられ、私も世界に対して十字架につけられたのです。(ガラテヤ人への手紙6:14)』と。お祈りいたします。》

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