• 2019年8月4日礼拝メッセージの概要

    ◇◆◇2019年8月4日第一主日礼拝
    ◎本日の聖書箇所【ヨハネの福音書18章33節~38節前半】 (新約p.200下段右側)
    18:33 そこで、ピラトはもう一度官邸にはいって、イエスを呼んで言った。「あなたは、ユダヤ人の王ですか。」
    18:34 イエスは答えられた。「あなたは、自分でそのことを言っているのですか。それともほかの人が、あなたに私のことを話したのですか。」
    18:35 ピラトは答えた。「私はユダヤ人ではないでしょう。あなたの同国人と祭司長たちが、あなたを私に引き渡したのです。あなたは何をしたのですか。」
    18:36 イエスは答えられた。「私の国はこの世のものではありません。もしこの世のものであったなら、私のしもべたちが、私をユダヤ人に渡さないように、戦ったことでしょう。しかし、事実、私の国はこの世のものではありません。」
    18:37 そこでピラトはイエスに言った。「それでは、あなたは王なのですか。」イエスは答えられた。「私が王であることは、あなたが言うとおりです。私は、真理のあかしをするために生まれ、このことのために世に来たのです。真理に属する者はみな、私の声に聞き従います。」
    18:38 ピラトはイエスに言った。「真理とは何ですか。」

    ◎メッセージの概要【真理とは何か?】
    《ユダヤ最高議会は、主イエス様を縛り上げ、ポンテオ・ピラトの所に連れて行きました。
     その当時、過越の祭は、一番暴動の起きやすい時とされていました。よって、他の都市に駐屯している部隊をエルサレムに集めていたのです。それゆえ千人隊長と共に、ローマ軍の一大隊が配備されていました。この時、ピラトはアントニア要塞に駐在していたのです。
     祭司長や、ユダヤの長老たちは、ピラトの駐在する建物の中に入ろうとはせず、イエス様だけが中に入りました。よって、ピラトは、門の外と中を行ったり来たりすうるのです。そして、ピラトによる主イエス様の尋問が始まりました。第一回政治裁判に当たります。
     さて、3つの共観福音書では、ピラトは初めに「あなたは、ユダヤ人の王ですか。」と尋問します。するとイエス様は、「そのとおりです。」と答えます。
     しかし、ヨハネの福音書は若干違っているのです。この違いは、マタイもマルコもルカも、その場にはいませんでしたが、ヨハネはイエス様の後を付いて行きました。よってヨハネが書き記した第一回政治裁判は、ヨハネ自身が見たことと聞いたことになります。
     ヨハネは、ピラトとイエス様のやり取りを詳しく書き記しました。その中でも、ピラトの驚くべき質問が残されています。それが、「真理とは何ですか。」と言う問いかけです。
     その後、ピラトはイエス様がガリラヤ人であることを知ると、ヘロデ・アンティパスの所に送ったのです。この王は、過越の祭には、毎年エルサレムに来ていたのです。
     ピラトがそのことを思い出したのは、ガリラヤ国主であるアンティパスと、自らをユダヤ人の王と称するイエス様とを引き合わせることによって、イエス様の目を覚まさせようとし、また本物の国主の前で、イエス様がどのような態度を示すのか、興味津々だったわけです。
     へロデはイエス様を見ると非常に喜びました。ずっと前からイエス様のことを聞いていたのですが、この時彼は初めて、イエス様にお会いしたのです。それで、いろいろと質問しますが、イエス様は彼には何もお答えになりませんでした。ヘロデは、イエス様を侮辱したあげく、はでな紫の衣を着せて、ピラトに送り返したのです。
     この後に、ピラトによる最後の政治裁判が行なわれ、イエス様は、極悪人バラバの代わりとして、すべての人の身代わりとして、十字架にかけられることになるのです。
     さて、「真理」ですが、この言葉は、「真実」とも訳せます。ピラトは、聖霊様の導きによって、主に質問したことは間違いありません。「真理とは何ですか。」
     使徒ヨハネは、福音書の始めにそのことについて解説しています。尾山令仁師の現代訳をによりますと、
    『まだ、この世界も何も無かった時、すでにキリストは存在しておられた。キリストは神と共におられ、また神ご自身であられた。
     このように、キリストは神ご自身であられながら、唯一の神のうちにおられるもう一人の人格であられた。唯一の神には三人格があって、父と子と聖霊である。キリストは子であられる。
     すべてのものは、神によって造られた。だから、神であられるキリストによって造られないものは一つも無かった。
     神であられるキリストには、本当の命があり、この命こそは、人間が歩む道を照らす光にほかならない。
     キリストの命は光として、闇の世界に輝いており、闇の世界は、決してこれに打ち勝つことができない。』となっています。
     真理とは、真実のことです。それは哲学の命題でもあります。ギリシャ哲学もそれを究明しようとしました。つまり、「この世界は、なぜ存在しているのか」と言うことであり、また「人は何の為に生きるのか。人はどこから来てどこへ行くのか」と言う質問です。その答えはただ一つです。すべてはイエス様に始まって、イエス様で終わるのです。
     ヨハネはそのことを明らかにする目的で、第四福音書を執筆し、3通の書簡を残しました。
     真理とは、真実であって、この世界は創造主なるまことの神様によって創造されたこと、その方こそが、主イエス・キリストであると言うこと、そしてそのお方を信じる者は、罪が赦され、永遠のいのちが与えられると言うことです。
     私たちは、本来神様と共に歩む為に創造されたのです。神様に愛され、神様を愛し、そして自分を愛し、他者を愛する為に存在し、生かされているのです。》

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