• 日々のみ言葉 2019年12月3日(火)

    ◇◆◇日々のみ言葉

    2019年12月3日(火)

    ◎聖書箇所【使徒の働き18章19節】
    18:19 彼らがエペソに着くと、パウロはふたりをそこに残し、自分だけ会堂にはいって、ユダヤ人たちと論じた。

    ◎ショートメッセージ
    《さて、パウロは、なお長らくコリントに滞在してから、兄弟たちに別れを告げて、港町であるケンクレヤへ向かいました。そしてプリスキラとアクラと共に、シリヤのアンテオケに向けて出帆したのです。一行はエペソに到着しました。

     この時、プリスキラとアクラはおそらく「天幕作り」の仕事の関係で、エペソに残ったと思われます。店を広げようとしたとも考えられるのです。

     さてエペソとは、アジヤ州第一の都市であって、リュディアにありました。リュディアとはエーゲ海沿岸の一地方のことです。
     当時のエペソは、シリヤのアンテオケ、エジプトのアレキサンドリヤと共に、東地中海の3大都市の一つに数えられていました。各種の陸路、海路が集まる中心地で、東洋および西洋から来た人々が行き交い、交易の品々も各地から集まって来たのです。
     またエペソには、アシュタロテに類したリュディアの多産の女神であるアルテミスの壮大な神殿がありました。ギリシヤの歴史家パウサニアスは、当時存在していた建造物の中で最も規模の大きなものであると言っています。
     神殿売春を含め、その偶像礼拝によって多くの商売が成り立っていました。エペソは、アルテミス巡礼者たちにとっては重要な場所であり、彼らはそこで売られているお守りや、みやげ物を買いあさり、持ち帰ったのです。
     また銀細工人の組合が栄え、彼らの生活は、銀で造った神殿やアルテミスの像を制作販売することによって支えられていたのです。

     この町にはユダヤ人も多く住み、ユダヤ人の会堂もありました。パウロは第2回伝道旅行の帰途に立ち寄り、短期間伝道しましたが、第3回伝道旅行の時には、真っ先に立ち寄っています。この時は何と、少なくとも2年3か月はエペソに滞在したのです。
     今日の聖書箇所は、エペソ最初の伝道の場面となります。

     パウロの伝道方法は、ほぼ何時も同じ手順を踏んでいます。まず、安息日にその町にあるユダヤ人の会堂に赴くと言うやり方です。
     この時は、アクラとプリスキラ夫婦と別れて、ユダヤ人の会堂の中に入って行きました。もちろんシラスとテモテも同行していたと思われます。

     この一歩が、「エペソ教会」の誕生となり、また「エペソ人への手紙」が生み出されるべき、記念的第一歩となるのです。人類が月に到着した時と同じように。

     また使徒ヨハネは、その人生の最後をエペソで過ごしたとも言われています。主イエス様の復活を直に体験した最後の生き残りの証人として、ヨハネはエペソで出来る限り多くの弟子たちを育て続けたのです。長老として。》

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