◇◆◇日々のみ言葉
2019年12月4日(水)
◎聖書箇所【使徒の働き18章20節~21節】
18:20 人々は、もっと長くとどまるように頼んだが、彼は聞き入れないで、
18:21「神のみ心なら、またあなたがたの所に帰って来ます。」と言って別れを告げ、エペソから船出した。
◎ショートメッセージ
《パウロとシラスと弟子テモテの一行は、プリスキラとアクラと共に、ケンクレヤからシリヤへ向けて出航しました。そして彼らはエペソに着いたのです。ここでパウロ一行とプリスキラとアクラは分かれることになります。
F・ブルース著「使徒行伝」によりますと、
『エペソはアジア州の首都であるばかりでなく、当時小アジアの中で最大の商業都市であって、そこでアクラとプリスキラは、このエペソにも自分の「天幕作り」の店を出そうとしたのではないかと考えられる』と述べています。
パウロたちは、ユダヤ人の会堂にはいって、エペソ在住のユダヤ人たちと論じたとあります。
この時、どのくらいパウロがエペソに滞在したのかは分かりません。しかし数日ではなく、ある程度の日数はそこで過ごしたことと思われます。なぜなら、この時、エペソ教会が誕生しているからです。
地中海では、航海の季節が定められていました。冬は難船の危険がある為、11月から3月10日までは、休止あるいは禁止されていたのです。
おそらくその期間が来る前に、パウロはエペソを後にして、カイザリヤに向かおうとしたようです。
パウロが伝えた主イエスのみ言葉によって、ここでも多くの異邦人や同胞が救いに導かれました。
人々は、パウロに「もっと長くとどまるように頼んだ」のです。しかし、その願いを退けて、パウロたちはエルサレムに近い港町カイザリヤに向けて出航したのです。
「神のみ心なら、またあなたがたの所に帰って来ます。」
この言葉は預言です。実際に「第三回伝道旅行」の時には、またすぐにエペソに戻って来て、何とその時には、エペソに三年間も留まることになるからです。
それでは、どうしてパウロたちは出航を急いだのでしょうか。実は、西方本文とビザンチン本文には、21節冒頭に次の句が挿入されています。
「(私は、どうしても今度の祭り(過越の祭)をエルサレムで祝わなければならないのです。)神のみ心なら、またあなたがたの所に帰って来ます。」となっています。
パウロたちは、至急にエルサレムに赴く必要があったことが分かります。》